火星の月の下で

日記がわり。

◇なんでテレビを見るのが苦痛、苦行になってんだろうね

「朝のニュースで不愉快な情報ばかりが流れてくる…テレビはもう猫だけ映して!→「FF外から猫です、どうぞ」とリプ欄が楽しい」(togetter:1167594)
猫でも映してろ、というのは大いに賛成。
もう人間の顔とか映像でまで見たくないんだよ。
・・・というのはさておき、この背景にある、テレビを見るのが娯楽とか情報摂取の手段とかではなく、ただもうひたすら苦痛、苦行になってる、という点こそが大問題であるわけだな。
正確に言うと、地上波テレビをまったく見なくなったわけではない。
ほとんど衛星にシフトしてしまっているとは言え一応地上波でもアニメは見るしスポーツ中継も見る・・・かな?
バラエティとか民放ドラマとかはまったくと言っていいほど見なくなった・・・と思う。
少なくとも21世紀になってから見た記憶はない。(たぶん見てないこともないんだろうけど、思い出せない、それくらいの薄さ)
ただこれだけなら「見なくなったなぁ」なんだけど、最近は地上波が映ってるともうそれだけで苦痛というか、いやな気分になることの方が多い。
東京キー局が作っているバラエティや民放ドラマ、歌謡番組とかは衛星でも見ないし見たくない。
この「見たくない」という気持ちが前世紀に比べて格段に大きくなっている、つまり自分の居住空間でテレビが映っていると苦痛になってしまっているのだ。
「テレビ番組がつまらない」というのはその言葉の背景に「面白い番組もあるけど、この番組はつまらない」という意味もある程度あって、番組の選択の問題になるのだけど、現在はそうではなくて、地上波テレビでやってる大半のものが情報としても娯楽としても教養としても必要性がまったくなくなってしまっているということなのだ。
衛星からCSまで全てのテレビをひっくるめて言うなら、テレビは今でも見ているし、今までも面白い。
しかしそれは欧米の作った教養番組であったりニュースであったり、あるいはCS局が頭を絞って作られたもの等であって、間違っても地上派民放の制作物ではない。
いつまでこういう苦痛が続くのだろうか。