火星の月の下で

日記がわり。

ラノベはYAと同じジャンルにはできない

アメリカでようやく根付き始めた日本のライトノベル
(ps://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2018/06/post-46.php
部分としてはいくつか知っていたが、トータルでまとめられてみるとひとつながりになる感じで、読みやすいルボ。
1945年以後、日本の大衆文化は北米合衆国のそれとともに密接に発展してきたので、他の欧州諸国よりは親和性が高い、と思う。
もちろん米語話者のマス、マーケットとしての大きさ、という点も重要ではあるが。
同様のことが欧州大陸部(要するに、非英語圏欧州)の児童文学(とまとめてしまうのはいささか乱暴ではあるが)にも起こっていて、北米合衆国でのマーケットとどう折り合いをつけていくか、がけっこう重要な一面を持つようになってきているし、またそれによって従来の「国民文学の一翼」としての児童文学の変質にもなってきていて、一部の国では問題になったりもしている。
もちろん当然のように、そういうユニバーサルなマーケットを求めて変質していくことに肯定的な地域もあるが、日本の場合、肯定的であれ否定的であれ、そこまで激しいものにはなっていない・・・ということはやはり戦後大衆文化の親和性とも関係があるのかなぁ、なんてことをぼんやり思ってみたり。
ともかく、YAに関して日本人はあまりに無知だし、別に知らなくてもラノベ文化を十分に楽しめるようにはなっているので、こういった概略的なまとめは有効なのだろう。
個別に書くと、またいつぞやの徳島のキ○ガイ君みたいなのが湧いてくるので書かないが。
以前、エストニアの児童文学の人とそういった多言語での展開について話したことがあったが、そのとき「そうはいっても日本のマーケットはぼくらから見れば巨大の一語だからなぁ」みたいなことを言われたこともあった。
これについても少し思うところがあるのだが、公開できるのはこのあたりまでかな、具体的個別的なことはもう極力公開しない方針なので。