火星の月の下で

日記がわり。

1966年から見た、2020年の挑戦

昨年末から今年念頭にかけて、ついったでちょびっとだけ話題になった「2020年の挑戦」
言わずと知れた『Q』第19話でケムール人の出てくるやつなんだが、具体的に年号の出てくるものは、その年になるといろいろ回顧されてしまうものだ。*1
で、2020年には当然ケムール人なんかは生まれないわけなんだが(残り10か月で出現する可能性も・・・さすがにないか)、時間の幅で見てみるといろいろと考えてしまうこともある。
「2020年の挑戦」が放映されたのは、1966年(昭和41年)5月22日で、時間にして約54年前。
この頃の感覚として(と言ってもまだ幼かったので、世相としての記憶ではないけど)50年後の世界なんてもうとんでもなく先で、21世紀とか未来とかっていうこと以上に、別世界、異次元とほぼ同じニュアンスだった。
1964年東京五輪の2年後、巨人の9連覇が始まった年、そしてまだ台湾を中華民国として日本が認めていて、沖縄もまだ返還されなかった頃。
世界は米ソ冷戦の真っ最中で、ベトナムでもドンパチやってたが、中東戦争も第4次以前なのでオイルショックによる対外関係の危機感なんかもほとんどなかった。
今と比べれば社会情報も少なかったし、社会が高度成長している実感こそあったものの、その皮膚感覚が全世界の感覚であるかのように錯覚してしまう、のんびりしていた時代。
今より犯罪も多かったはずなのに、全体像としての「漠とした不安」の意識はうすかった・・・まぁこれは私がまだ幼かったからかもしれないが。
そこに切り込んできた『ウルトラQ』の怪奇世界。
その頃、自分は50年先に対してどんなイメージを持っていただろうか。

時間軸の中心を現在の2020年に移してみると、54年後と言うと、2074年である。
時間の長さ、速さに対して感覚としての差があるので機械的にはあてはめられないとしても、やはり具体的なイメージはしづらい。
今とはまったく価値観が違ってしまっていることもあるだろうけど、今と大して変わらないことも多いかもしれない。
1966年頃も、そういった「わからない未来」に対しての2020年だったように思う。
はっきり言えるのは、2074年にはまず確実に死んでいるので、その感覚を確認できないことくらいかな。

*1:これ以外にすぐ思い出されるのは『ジェッターマルス』のOPで「時は2015年」とうたわれるものが印象深い。この作品も5年前に少し話題になった。