火星の月の下で

日記がわり。

昔、左翼がかっこいいと思われていた時代があった

今のご時世だと想像しがたいかもしれないけど、わしが少年時代を過ごした昭和40年代(1965~1974)の頃の話。
高学歴大学(と世間で言われる大学)に進学したり、普段から「よく考えた」発言をしていた連中は、だいたい左寄りだった。
高校三年の時、後に一浪して理3に進学したクラスメイトが、こんなことを言ってた。
「しっかり調べていろいろ考えてみると、最も優秀な政党はK産党だな」
ちょっと耳を疑う発言だったので、70近い今になっても、明確に覚えている。確か映画館でたまたまあって、一緒に食事をしたときの発言で、その店とか、言った時の表情とか、いまだにくっきりと覚えている。
当時はこういう発言が、偏差値の高い学生から出てくることに関しては、さほど違和感がなかった。今とは真逆である。

朝日新聞の「天声人語」がなぜあんなに読まれたのか。
なぜ大学入試で「模範的な日本語」ともてはやされたのか。
当時の都市の空気を知っていると、割と納得できてしまうのだ、同意するとかではなく。

それではなぜ今は違ってしまったのか、当時はなぜ熱にうなされたように知的クール=左翼支持だったのか。
いろんな理由があろうし、そういった研究もいくつか読んだけど、この当時の空気という感覚から言うと、判断する情報に対して信頼性を確認できなかったこと、そしてその情報の伝わるスピードが今のように早くなかったことが原因かな、という感じ。

たとえば、党綱領や政治思想、それだけを読んでいてその確認作業ができない。
これは怠惰からできないのではなく、それを確認する手段を一市民の立場では入手しがたかったからだ。
今のようにネットがあるわけでもなく、外紙が手軽に読める空間でもなかった。
情報源の多くが、新聞だった時代なのだ。

以前にも少し書いたように、私はドイツ語をかなり早い時期から始めた。
中学に上がって英語を学び出すよりも先に。
近くに「現代ドイツ語」の手本がなかったので、当時まだ神戸にあった総領事館や、元町の墺国人の知り合いとかに頼んで、船便で数か月遅れの新聞、雑誌なんかを読んでいた。
当初は語学勉強目的だったのだが、読み込んでいくと、扱っている素材にも目が行くようになるる
そこで知る、世界を見る認識の違い、ローカルニュウスを除いても日本の新聞とはあまりにも違う取材対象。
市民生活の感覚もかなり違ってて、当時まだ小中だったこともあり、世界では野球より蹴球の方が人気がある、なんてのも、かなり驚いた記憶があった。
巨人がV9を突っ走り始め、メキシコ五輪蹴球で日本が銅メダルをとって世界を驚かせた頃である。

いったんそういう「疑う目」ができてしまうと、当時インテリが読む新聞、みたいに誤解されていた朝日がとてつもなくうさん臭く見えていたし、判断や思想の根拠をそこに求めている人間とは「話しあえない」「理解しあえない」という感覚になっていった。まぁ、私も若かった、というより、幼かったので。


それゆえ今、左翼の嘘ときれいごとが暴かれた現代の空気の中で、団塊の世代はバカだから左巻に踊らされていた、という論調というかフィーリングには賛同できないのだ。もちろんわしは団塊じゃないけどね、そのちょっと後の世代。