火星の月の下で

日記がわり。

イラスト考

もう現場を離れて40年近く経つので、今ではすっかり見る方オンリー。
したがって、下に記すことはすべて「自分のことは棚に上げて」の記録。
最近は、pixivやついった等での投稿イラストも、ある程度選別されているまとめ系(?)みたいなのが充実してきて、それこそ初心者丸出しというか、描き始めたばかり、落書きレベルというのはあまり目にする機会がなくなってしまった。
もちろんそういった選別に引っかからないところではものすごい数が生産されているのだろうけど、ちょっと眺めて楽しむ程度のところにいると、あんまりひっかからない
それでも今回のように暇があると、そういったところにまで鑑賞の幅を広げていくことがあり、自分が大昔通った道を見ているようで、なんとも懐かしい感慨になることもたまにある。
まだ描き始めて間がない(それでも美術系とかだとCGが最初からうまいって層もいるのだが)人を除くと、そこそこ画材(多くはデジタル)がわかってきて、描いてて楽しいレベルには来ているんだろうけど、残念なことにまだ無関係の他人を喜ばす水準に来ていないCGについて。
もちろん年数が浅ければ、これからの技術の修練、精進によってうまくなっていくであろうし、その途中なんだけど、センスというやつは同時に習得していかないと、時に危険なこともある。
それは描き手の「見る目」なのだ。
部分部分はうまく描けているのに、全体として見ればおかしなところが出てくる、あるいは、良いパーツとダメなパーツが一枚絵の中に混在している。
時間と回数をかければ解決されることが多いけれども、同時に「どこが変なのか」を磨いていくことも必要。
他人の意見を聞くことも必要だしそれで解決することもないわけではないだろうけど、身内の意見だとゆるすぎたり、他人の意見だと自身の指向性とは全然違うところが返ってきたりして、逆に混乱することも多い。
指向性として、自分の目を持つことはかなり重要なのだ。
多くの作品を見て、多く描く。
昔も今も、画材や発表場所が変わってきているだけで、基本的には同じこと。
ただこの「多く見る」という過程で、「うまいけど自分とは関係なさそうな絵」にあんまり入れ込まないようにする技術、こういうことも大事になってくる。
技術的に「うまい」というだけでとびついていって、それが自身の中で消化していけばいいけど、そのうちの自身の中で破綻する人もいる。
修練しながら、意識的にセンスを磨くことも大切なのだ。

しばしば誤解されがちだけど、センスというのは後天的なものである。
正確にいうと、後天的なものが9割以上を占める。
それをどの過程で身につけていくか、ということについて、時期としての同時性はたいせつで、それがあれば末永く、自分の個性として貫ける。

グダグダ書いたけど、要するに「しっかりと見る」ことの大切さなのだ。
自信の絵だけでなく、他人の絵。
模倣素材として(模倣はとても大事)見るだけでなく、その中で輝いている、その人のセンス、あるいはバランス感。
もちろん、自分の絵についても。

私がまだプロだった40年以上前に、先輩漫画家に言われた言葉をここに残しておく。
「こいつ、オレと同じくらいだな」と思ったら、その人は既に自分より上。
「こいつ、オレよりヘタだな」と思ったら、その人は自分と同じレベル。
「オレよりちょっとだけうまいかもしれんな」と思ったら、その人はもう追いつけないくらいはるか前を走っている。