火星の月の下で

日記がわり。

五輪に対する一提言

東京オリンピックはやったらよい しかし聖火リレーも開会式も要らない」
(ps://www.newsweekjapan.jp/obata/2021/05/post-66.php
競技だけを淡々とやればよい。
聖火リレー、開会式、閉会式、テレビ中継等、競技そのものではないものを全て廃止してやればよい。
・・・という考え方みたいで、これも消極的ではあるが賛成できる意見。
ただし基本は今でも「廃止すべき」というのが私の意見だけれど。

こういう方向で意見が出てくるのは歓迎したい。
確かに、全て廃止では、競技者が気の毒になる一面もあるからね。

この意見を読んでいてふと思ったのが、コミケとの関係。
今では個々の協議に世界選手権ができているので、五輪は単なるそれらをいっぺんにやっているだけ、になってしまった、と書かれている。
五輪が始まった頃、悪名高いベルリン大会以前においては存在意義は大きかったけど、各競技の世界選手権が充実してるい今、もう一つの世界選手権みたいなことになっているので、かつてのような必要性は薄いんじゃないか。
これ、個々の即売会や交流会が充実してきたので、コミケみたいな巨大なのはもう必要ないんじゃないか、という意見と共通するものを感じる。
もちろんスケールメリットというか、量的に巨大であるからこそ生み出されるものもあるので、単純に同列、同一視はできないにしても、伝統意識で十年一日のごとく「開催すること」の方に意味を見出してしまうのは、はたしていかがなものか、な気分になるのう。
ということで、そっちの方に意識がいってしまいました。