火星の月の下で

日記がわり。

訳語としての日本語の問題

「英単語のoftenがあるおかげで日本語の「しばしば」が死語にならずに済んでいるのでないか、という説」(togetter:1735855)
ここにあがっている例だと「そんなわけあるか」という感じなんだけど、訳語の固定化によって覚えてしまう言いまわしってのは、確かにある。
これは私的に訳出とかしているときに注意していることなんだけど、どうしてもクセというか、訳語的な言い回しになってしまう時があるんだよな。
その意味でも翻訳はむずかしいし、私的なもの以外は、最近はもう受けないようにしている。