火星の月の下で

日記がわり。

ナガサキ

今日8月9日は、長崎市プルトニウム原子爆弾が投下され、多くの市民が虐殺された日。
過去に何度も書いたので、今年も同じようなことを書くのはためらわれるが、今年は五輪で特に報道が少ないようなので、以前と同じ内容になるかもしれないけど、記録しておく。

人類史上、民間人の上に投下された第一号原爆が広島市に投下されたのが8月6日。
もちろんこれも重要な事件で、戦争がどうのとか関係なく、人類が人類に牙を剥いた最も凶悪な大量殺人として記憶されるべきである。
だがヒロシマに比べてナガサキの方は、第二号ということもあって、報道領や関心がヒロシマより低い気がしていた。
とんでもない話で、ナガサキもまた、記憶に残すべき最も凶悪な大量殺人なのである。

ナガサキへの投下に対して怒りを感じるのは、そこに多くのキリスト教徒が住んでいて、キリスト教を事実上の国教としていた米国が、彼らを遠慮なく大量殺害した、という点と、果たして終戦のための効果があったのかどうか、という二点から。
ヒロシマへのエクスキューズとしてよく使われる詭弁として「戦争を終わらせるため」というのがある。
軍略上、あるいは米国市民の立場なら、一応筋も通ってるし、わからなくもない。もちろん賛同するわけでは決してないが。
しかしナガサキに対しては、その意義さえもどれほどあったのか。
実際、当時の軍部はヒロシマに投下された「新型爆弾」の威力を見て、敗戦受け入れに傾いていた。
豊富な情報量を持っていた米軍にはそれがわかっていたにも関わらず、である。

そして同様に怒りを感じるのが、キリスト教徒の大量虐殺だ。
長崎は歴史的に見ても、日本におけるキリスト教布教の原点都市であると同時に、多くの信者が定住していた。
彼らの上に、連中は原爆を落としたのである。
しかもここで用いられたプルトニウム型には、米軍の戦後を睨んだ核実験の要素も強く、体のいい実験都市にされてしまったわけだ。
当時の長崎市は、福岡市、八幡市(現・北九州市の一部)に次ぐ九州第三の都市で、東北の雄、仙台市よりも人口が多かった。
そこで行われた、戦争の名目の下に行われた人体実験、都市実験。
記録を読めば読むほど怒りがわいてくる。

1618年から1648にかけて欧州で行われた三十年戦争
当初、新旧キリスト教宗教戦争として始まったこの戦争が、後半になるにしたがって同じカトリックである仏・墺の政治戦争になっていったのはよく知られている。
近世から近代において、政治戦争が宗教戦争に優先する事態となったできごとだが、ナガサキの大量虐殺も、これを思わせる。
もっとも米国キリスト教プロテスタント(新教)が中心、長崎市ではカトリック(旧教)が多かった、という点もあるけれど。

ともかく、このナガサキへの原爆投下もヒロシマ同様、決して忘れてはいけない人類史の残虐行為であることを重ねて明記しておきたい。

どこかのキ〇ガイ国家と違い、これを以て現在の国際関係、現在の米国人に対して、謝罪と賠償を要求する、なんていう遡及法的意図ではないけど、落とした側の国にも正確にこの事実を知ってほしいなぁ、と思った、戦後76年目の今日でありました。(書いてるうちに日付が変わってしまったけど)