火星の月の下で

日記がわり。

1945原爆報道に思う

また明日から、毎年恒例の原爆報道が各紙、各メディアで始まると思うが、個人的な要望を一つ書いておく。
長崎原爆(1945.8.9)で米軍が多くのキリスト教徒を焼き殺したこと。
これをもっともっと周知させてほしい・・・ま、今の支韓に乗っ取られている在京メディアでは不可能だろうけど、地方局のどこか一つでもいいから、長崎で同じキリスト教国の殺人爆弾により、多くのキリスト教徒が虐殺されたこと、これに焦点を絞った報道をしてほしい。
こう思うのは、原爆報道があるたびに、米軍OBから聞こえてくる「原爆投下は正しかった」発言に対して、おまえらのやったことを注視しろ、と思うがゆえである。
おまえらは、同じキリスト教徒を大量殺戮したのだ。
「戦争を終わらせるため」などと言う、美名の偽善を語るな。
こう思うがゆえである。

加えて、長崎原爆は広島原爆に比べても、いつも扱いが小さいことへの不満もある。
確かに、人類史上初めて一般市民の上に投下された広島原爆の歴史的意義はわかるし、それを強調してしまいたくなるのもわかる。
そしてもちろんどちらを重視するか、という問題でもない。
広島原爆を重視しすぎるがゆえに、長崎原爆の持つ意味が、往々にして希釈されていることが気になるのだ。
プルトニウム型原爆という、軍事的、あるいは分類的な違いもあるがそれ以上に、戦争の狂牙が同じ神を信奉する一般市民にさえ襲い掛かる、ということの意義をもっともっと周知してほしい。

長崎原爆が取り上げられるたび、よく映像に映る浦上天主堂
だが、多くの報道はここで止まってしまう。
広島の原爆ドーム同様、単に原爆被害の建物としてしか認識されていない。
ここで死んだ、多くのキリスト教徒について、多方面からの考察をやってほしい。