火星の月の下で

日記がわり。

◇ハワイ・マレー沖海戦(1942)

レコーダーに録っておいた「ハワイマレー沖海戦」を見る。
初期円谷特撮の傑作として有名な作品だったが、残念ながら今まで未見であった。
モノクロ。1942年というから、昭和17年、戦時下での公開、開戦一周年の12月8日に封切られたという。華々しい戦果を収めたのは開戦半年だったというから、そろそろ暗雲がたちこめてきたころだろうか。
前半は、帰郷した海軍青年士官の家族と海軍航空隊を志願する親戚の若者、そして予備隊での日々などが描かれ、多少教条くさいところもないではないが、意外とまとも、といっては失礼か。少なくとも撮影時期はまだ戦果華々しい開戦半年の頃だったろうから、それほどの悲壮感はない。むしろ戦前の日本の地方旧家やその間取り、農作業風景、などもあり、またモノクロとはいえ、士官と若者が褌一丁で川にとびこむシーンなどは、なかなかに日本の自然を美しく撮っていると思う。
さて、見所の後半の特撮シーンである。
今の視点で見れば、戦艦や真珠湾の基地等、作り物であることがはっきりわかるのだが、よく聞かされる「当時米国はあまりのできに本物を使っていると思っていた」というのは、どのくらいまで真実なのだろうか、また、当時というのはいったいいつごろなのだろうか。
この時点で欧州、特に独ウーファ等の模型特撮の技術は凌駕していたと思うが、果たして米国映画の水準まで凌いでいたか、というか甚だ疑問で、たしかにミニチュアを駆使した映像は精緻でよくできているとは思うが、同時期、米国ではプロパガンダ映画としても知られる名作「カサブランカ」なども作られていたわけで驚くほどかなぁ、という気も少しある。戦後すぐの外交辞令だったのか、それとも「たかが日本人が」と思っていたものが意外にやるじゃないか、といった軽い軽侮の気持ちがあったのか、それはわからない。
ともあれ、現代からの視点で見るといろいろと雑な点も見えるが、ゴジラ以前ということ、制限されていることも多かったであろうことなどと考えあわせるとよくできていると思う。英・戦艦や真珠湾基地もさることながら、航空機の描写が丁寧で、「飛行機が好きでそれをとりたくてこの世界に入った」という円谷英二のことばが思い出される。コマごとの検証は忙しいのでまだできてないけど、時間がとれればまたしてみたいものだ。
戦闘に入ると、前半のドラマの部分はほとんど抜け落ちてしまうのだが(戦意高揚映画としては仕方ないか)後半の機中での会話で、「燃料が基地に帰る分しかありません」「基地に帰ろうなどと思うな」「はい、それならばまだまだ十分あります」といって、ニッコリ笑うシーンがあって、こういた無茶なヒロイズムみたいなものが表面上さわやかに描かれているのが印象深い。その後の日本軍を暗示しているようでもあり、また、まだ戦況が逼迫してくる前の雰囲気を表しているとも見える。結局この飛行機が帰島できたのかどうかは描かれてなかったのだが。
円谷特撮ということだけでなく、いろいろと興味深い映画であったと思う。
こうなると、同時期に上映された「マレーの虎」も見てみたいものだ。戦意高揚映画として、ハリマオがどう描かれていたか、これも興味がある。でもフィルムは残ってるのかなぁ?