火星の月の下で

日記がわり。

常識という幻想

ちょっと前のことになるが、将棋の加藤一二三九段が銀河戦で「待った」*1をした件について、ネットでも少しだけ話題になってみたいだったのですが、その中で、「棋士のニックネームやエピソード」をまとめたページが立ち上がっていた。
内容としては、将棋ファンにとってはよく知られたものばかり、だったのだが、その選択が某巨大掲示板で現れたスタイルをとっていて、間違いとは言わぬものの、少し首をかしげざるをえないものもあった。まぁ、それはそれでいいのだが、それに対する反応が、ふだんあまり将棋のことなど取り上げないニュウス系やヲタ系のサイトからねリンクされていたのだが、一様に「なんじゃこりゃ?」という反応だったように思う。
上記のエピソードまとめページにはとりたてて何の思いもなかったが、それに対する反応の方に少しひっかかるものを感じてしまった。・・・と言っても不快感とか反論とか、そういったものではないのだが。
例えば、七冠王になったこともある羽生現四冠(名人戦、残念でした)の羽生にらみ、個性の塊のような加藤(一)九段の、から咳、「あと何分?」、神武以来の天才、18歳A級八段、加藤(一)、谷川、羽生の中学生四段、内藤の「おゆき」、こういったエピソードとか、大山-升田の名勝負、中原-米長の対決、羽生-谷川の死闘、これらは日本人にはよく知られているエピソードだ、と勝手に思っていたからである。
たとえば、野球に対して関心はなくても、長島がデビュー時に金田に4三振にきってとられたとか、その長島に村山が天覧ホーマーを喫したとか、それに近いことだと思っていたのである。まぁ、野球はけっこう好きなので、別の例、たとえば、大相撲やプロレスなんて、微塵の興味も関心もないけど、それでも力道山が暴漢に刺されて死んだこととか、大鵬の母親がロシア人だとか、G馬場がかつて巨人軍に投手として入団していたこととかはごく普通の一般常識として知っていた。つまり自慢する知識でもないけど、そんな話題が出たときには、なんとかついていけそうな、というレベルである。
強調しておきたいが、ここで言う「常識」というのは、知っていても何の自慢にもならないどころか、知らないと「ハァ?」という顔をされかねないような、まぁ、その程度のトリビアにすらならない知識の類である。
たぶん、将棋、それも戦法やゲームとしてのそれだけでなく、プロ将棋の世界、棋士、といったものが好きだったからおこった錯覚だったのだろう。自分では比較的常識だと思っていたいろいろな棋士のエビソードが、世間的には大して注目されていたわけではない、ということを今更ながらにわかったような気がする。
まぁ、関係ないけど、谷川の復活と、山崎、渡辺らによる羽生世代の切り崩しを願望しています。
現在絶不調の谷川だけど、不調になると、やっぱり谷川の美しい棋譜は好きだったんだなぁ、とあらためて思わせてくれます。普段はそれほど谷川ファンだという自覚はないんですけどねぇ。

*1:待った、というより二手指しだったと思うのだけど。