火星の月の下で

日記がわり。

ユダの福音書

先日、東方教会が気になってしかたない、というエントリを書いたら、こんなニュースがとびこんできた。
エジプトで3〜4世紀頃のパピルス文書が発見され、解読されつつある、というもの。
内容は、「ユダの福音書」と思しき物で、コプト語で記載され、ギリシア語原典からの翻訳であるらしいという。
上の引用元はすぐに消えるかもしれないので、簡単に概略を残しておくと、「イスカリオテのユダ」が、実は、イエス本人の命令に従い「救済」を完成させるために引き渡した「善行の人」だったと主張する内容らしく、エジプト中部の砂漠地帯で見つかった。
ほとんど原形をとどめぬくらいにボロボロになっていたものをスイスのコプト語学者を中心に、なんとか再現し8割がたまで解読に成功したらしい、というもの。
興味があるのは、その内容もさることながら、発見場所がエジプトの砂漠地帯だった、ということだ。
3世紀末くらいだとして、まだイスラムは誕生していないし*1強奪会議による、アレクサンドリアコンスタンティノープルの決裂は起こっていなかった時期だろう。
ということは、カイロやアレクサンドリアではなく、その外縁部にある教会、あるいは修道院の痕跡といった地での発見だったのだろうか。
場所についての報道がないようなのではっきりしないけど、もしそうだとしたら、アレクサンドリア側の理論闘争史実としても、かなり信憑性の高そうな内容となるかもしれない。
まぁ、無数にあったであろう、異伝の一つかもしれないけど。
福音書の内容が微妙に矛盾しているのは、古来から知られていたことだし、封殺された側の福音書が残っていても全然不思議ではないしね。
加えて、コプト語だ、っていうのも、いろいろと考えを飛翔させてくれる。新約の言語がギリシア語なので、そこからの翻訳とすると、当時、知の集積においてローマやコンスタンティノープルと肩を並べつつあったアレクサンドリアの、翻訳事業の一環だったかもしれない。
研究が一段落したら、内容を読んでみたいものです。もっとも、現時点ではコプト語はまだ読めないけど。

(追記)
ナショナルジオグラフィックの方に記事がありました、っていうこ、こっちが元ソースですね。(^_^;
発見場所が洞窟群の近くということなので、やはり修道院の痕跡のような場所なのだろうか。内容については、今月末の、ジオ日本語版に載るらしいので、楽しみに待ちたいと思う。

*1:もっとも、巷間信じられているほど、エジプトのクリスト教徒はエジプトでは迫害されたわけではなくて、7〜8世紀当時既にアレクサンドリアの主教座は、ローマやコンスタンティノープルとは単性論を巡ってほぼけんかわかれ状態だったらしく、イスラムの進行はむしろ歓迎されたらしい。今日主教座はカイロに移っているらしいが、現在でも、かなりの数の東方クリスト教徒はエジプト国内にいるようである。