火星の月の下で

日記がわり。

○左派に偏りすぎるキリスト教系教育期間

togetterのリンクをはると、そっちに記録が残っていらん連中を呼び込みそうになるので、まとめのタイトル名だけにしてリンクは貼らないけど、
・日本のキリスト教界の主流は極左に偏りすぎるという現実
・SEALDsとキリスト教左派
とか読んでると、学術研究としての福音書使徒行伝を学ぶのには日本ではかなり難しいのだな、とあらためて感じてしまう次第。
実は奈良に引っ越してくる前、正教系の教会で少し勉強してみようか、と思ったことがあった。
結局そのすぐあとで引っ越しが決まってしまったこともあり、また奈良には、もしくは奈良に近いところには正教系の研究機関がなかったこともあって立ち消えになってしまったけど、こういう連中の話題が出てくると、西方カトリックプロテスタントとは違うものの、行くといろいろ面倒なことも背負い込んでいたのかな、という気がかなりしている。
実際問題、ギリシア語文献として新約を読み解いていきたいし、外典などもその文脈で読み解きたい、と思っている人間には、主観的、主情的日本語や英語でわめているものなんかには触れたくない、というのが本音だったりするし。
新しくてもせいぜいウルガータのラテン語文献までで、むしろ積極的にコプト語ヘブライ語の文献なんかも読み解きたい、と思っているので、そういうことについて語れない、あるいは原典暗唱を原語でできていない人間とは研究仲間としては接触したくない、という気持ちが少しある。
趣味の学問なので、人生賭けるような政治活動とか思想活動とかにもまきこまれたくないし、読み解きたいのはその原典であって、別にその思想に帰依したいとか思っているわけでもない。
そんなわけで、巷で言われている「偏差値28の某高校」がらみでキリスト教教育期間がとりあげられているというのは、かなり幻滅してしまうところなのだ。
理工系と違って人文系は、資金力さえあればかなりのところまで独学でいけるんだけど、さすがに専門性が細く深くなってくると、研究機関で勉強した方が的確かつ迅速に習得できるしね。
外典福音書(トマス、マリア、ユダ、ペテロ、ピリポ)のコプト語的通釈の良い参考書とかないかなぁ・・・。