火星の月の下で

日記がわり。

オタク大賞に思う

昼からD氏と会って、中華を食べにいく。
退院してからはじめての外食だったので、調子に乗ってかなり食べ過ぎてしまった。
まだ肌寒いけど、そろそろまたダイエットかなぁ。。。
さて、もうかなり旧聞になってしまったけど、オタク大賞なるものを勝手に決めてしまっている連中がいるので、それについて私見を少し残しておく。
既にいろんなところで反応があって、賛否いろいろ、反論に対する反論とかもチラチラ見るようだし、こういったコトバに対する見解なんてのは相当時間が経たないと結論というか共通認識は生まれないと思うので、あくまで私見として、記録しておく。
今回一番ひっかかったのは、特撮作品の中の1シーンに与えている、っていうこと。
岡田氏が大阪にいた頃からひっかかっていたというか、違和感に近いものを感じていたんだけど、特撮とかSFとかって、狭義のヲタク文化じゃないだろ、っていうのがかなりあった。「オタク」みたいな、言い出した人間とか来歴がはっきりしているコトバに対して、いちいち定義のしなおしとかするのはナンセンスなんだろうけど、出てきた頃、っていうのは、かなりアニメとゲームに限定されてたような印象があったのだ。
当時は東京に住んでたので大阪の雰囲気はどうだったかちょっと記憶にないけど、「オタク」と呼称されるようになった1現象、つまり相手を直視せずに名前を呼ばない、っていうコミュニケーション手段は、当初は東京ではアニメ・ゲーム愛好家に限られていたように思うし、使われ方としても、パソ通でこのコトバが広まり出すちょっとくらい前の現象としては、特撮とかアイドル、プロレス、なんていうのとはかなり違った立ち位置にいたからだ。
特撮、アイドル、プロレス*1ってあたりは方向性としてかなり明るいものが感じられてて、オタクというコトバが否定的に捕らえられていた頃は、特撮はむしろプロレスなんかと同じように、けっこうオタク文化の対極にあったような印象があったのである。*2
加えて、大阪のオタクっていうのは、あっけらかんとしていて、東京のオタク諸氏の如く、屈折した深みとはちょっと違うものがあったりした。
このあたりの雰囲気は、『オタクのビデオ』巻末につけられていた、オタクの生態に登場するような連中がかなり代弁していたような気がする。まぁ、あいつらが大阪系だったかどうかは忘れたけどさ。
そんなわけで、特撮の中から、その年度を代表するオタクとして出されてきてしまうと、もう違和感バリバリだったりするわけなのね、ヲタク以前の古いファナティック=マニアック層としては。(笑)
もちろん、広義のオタクとしては該当するんだろうけど。
加えて、SF代表層としての中途半端さ、みたいなにおいもして、かなり嫌なわけ。
桃谷にあったゼ○ラル・プロダクツは、SFショップみたいな体裁もかなりとってて、そっちの層への浸透を図ろうとしていたようなところがあったんだけど、なんせ関西のSFファンは東京のSFファンなんかには想像もつかないくらい、深く、コアで、知性レベルも高かったため、所謂本物層にはすぐに相手にされなくなってしまっていた。
そういう出自の卑しさみたいなものも少し感じてしまうんだよなぁ。
オタクイズデッドとか言って、自身の感性が低下していることの言い訳とかを必死にしていたけど、それはそれで別にいい。さして興味もないから。
ただ、そこへアニメ・ゲーム文化を巻き込んでしまおう、っていうニュアンスがある、ってことには嫌悪感があったりするんだなぁ。
オタクが否定的なニュアンスで語られることが少なくなってきて、その権威を利用しようとしたものの、どうもそっち方面のコア層のセンスについていけなくなってきた焦りのようなものも感じるけど、そういう権威を利用したがっているようなところもひっかかるとこかな。
東大の講師を務めたときの、と学会関係上での、ほんとに嬉しそうな発言等に、巨大カルト宗教団体代表の、全世界大学学位授与件数に近い匂いを感じてしまうんだよなぁ。
まぁそんなわけで、やや否定的な気分になってしまいました、ってことで。(^_^;
こんな人より、クレタ人さんとこでいろいろ書いてた人達の方がよっぽど濃いヲタ連中だったと思うけどね。われらが「ひかる」には、Bazilさんみたいな強烈な人もいたし。(笑)

*1:プロレス好きをここで出したのは、70年代〜80年代にかけて、けっこう特撮好きの連中に多かったからだ。

*2:一方、芸能アイドルファンは、行動や志向ではアニメ・ゲーム系に近いものも感じてたけど、これも最初はかなり別の流れだった。「ルサンチマン」の頃にはもう合流してたようだけど。(^_^;