火星の月の下で

日記がわり。

ファウスト・ウェルテル50円

梅田の古書店高橋義孝訳の『ゲーテ・若きウェルテルの悩み、ファウスト』(新潮社)が50円で売ってたので買ってかえる。
しかし古書店の経済原則っていうのは、見ててさびしくなるね。
これ以外にもプルーストとかドス・パソスとかもあったんだけど、だいたいこのあたりの価格帯。
一方、アダルト文庫とかマンガとかってのは300円から500円、600円の値段がついている。
まぁ、商売としては正しいんだろうけど、グリー○ドア文庫やマド○ナ文庫が350円で、ゲーテセルバンテス、ドライザー、モリエールが50円、100円というのは、かなり物悲しくなってくるのう。(^_^;
さて、このファウストとウェルテル、うちにも相良訳、鴎外訳、レクラムの原書、全集の原書とあったりはするので、なにをいまさらなんだけど、この2作、変な共通点がある。
それは第1部はすごく有名なのに、第2部はそれほど知られていない、そしてそれぞれの第2部こそが文学史的に評価されている、ということ。
まず、ウェルテル。
失恋して自殺した小説、という風に概略が語られることが多いけど、実は失恋は第1部。
自殺は第2部ラストなので、直接この失恋が引き金になっているわけではない。
第2部では、当時の社会の閉鎖性、偏見、などが書かれていて、そこそこ社会的な小説なのだ。
ちゃんと全編通して読めば、確かに失恋の部分が際立ってはいるけど、この世の絶望、みたいな色彩も多く感じられるところなのである。
ウェルテルの場合は、発表当時、これに感化されて自殺者が多く出た、なんてニュースが記録に残ってたりして、そういう面からも、読んだことのない人がだいたいの概略をつけたんだと思う。だから、青春小説みたいな感覚で読むと、たぶん面白くないだろうし、面食らうと思う。
さて、もう一つのファストの方はというと、こっちの悲劇第2部は、かなり混沌としていて、一言でまとめにくい。
有名な悲劇第1部、および先行するウルファウストに見られる「悪魔との契約」というモティーフとか、グレートヒェン悲劇のモティーフなんかはそこそこ有名で翻案されたりもしているけど、この悲劇第2部の不気味なまでの巨大さは、もはやそういったモティーフの領域を超えてしまっており、それゆえ老ゲーテはそれに恐怖して生前の刊行を認めなかった、とも言われているが、確かに何の予備知識もなく、この悲劇第2部を読むと、相当混乱すると思う。
少なくとも、悪魔と契約する悩めるインテリの話・・・みたいに単純化できるシロモノではない。
比較的前半の、社会学的モティーフ、神聖ローマ帝国皇帝を助けて国政に参加するファウスト、という捕らえ方は、かなりわかりやすいけれど、後半にいたる古代ギリシアや、ヘレネの話なんか、もうそういうくくりすらむなしくなってくる内容だ。
それゆえ世界文学の傑作でもあり、にもかかわらず内容の認知度としては第1部よりはるかに下がってしまうのだが、その知性の深さには、第1部をはるか凌駕するものがあると思う。
20年近く通読してないので、あんまり偉そうなことは言えたもんでもないが。(^_^;
と、こんなことを書いてしまったのは、数週前の『キミキス』で、ヒロインの一人、文学少女の結美ちゃんが、このウェルテルのことを「失恋して自殺しちゃう人の話」みたいな紹介をしてたのが、ちょっと頭に残っていたから、というきわめて下賎な理由だったからだ。
つうことで、思いつきの域を出てないので、今日はこの辺で。