火星の月の下で

日記がわり。

素材別戯曲の楽しみ

以前、ジャンヌ・ダルク劇について少しだけ書いたけど「戯曲」の中に収まっていて、作者の個性が素材の上に綺麗に反映してて、かつ我々日本人にとってもなじみのある素材として、ジャンヌ・ダルク・モティーフはたいへんとりあげやすい。
特に以下の5人による作品は、時代、文学思潮、その時点で公開されていた史料との照合等、面白い問題をたくさん含んでいる。
1.シェイクスピア『ヘンリー六世』第一部。魔女としての乙女(ラ・プーセル)。
2.シラー『オルレアンの処女』。少女英雄騎士として。史実の変更と理想への文学的解釈。
3.バーナード・ショー『聖女ジョウン』。素朴な田舎娘の人間史。
4.ブレヒト『食肉市場のジャンヌ・ダルク』。共産主義的テーマのジャンヌ劇。
5.アヌイ『ひばり』。最新史料によるジャンヌ裁判劇、同時に瞑想劇。
なお、ブレヒトにはあと2つジャンヌ劇がある。
シモーヌ・マシャールの幻覚』と『ルーアンジャンヌ・ダルク裁判1413』
しかしジャンヌ劇としては『食肉市場』(かつては『屠殺場の聖ヨハンナ』という訳名だった)がいちばん明確だろうと思う。
その他、いろんな作家が素材に取り上げているか、文学思潮としての観点、切り口としてはこの5人の7作品が際立っていると思う。
さて、それ以外となると日本人にはなじみのうすいものが出てくるため、並列的、あるいは通史的に扱うのがなかなか難しい。
もちろん日本読者のことなんか無視してもいいんだけど、それだと白亜の塔のかび臭い研究論文になってしまうので、どう切り口を見せるか、というのが読書家としては少し難しい。
一例として『ドン・ファンテノリオ』をあげてみると、日本ではほとんどモーツァルトの歌劇で有名になった『ドン・ジョヴァンニ』の台本であるダ・ポンテ、あるいはさらにその元ネタとなったティルソ・デ・モリーナの『石の客』だけになってしまい、さまざまな作家が描いた色事師、悪魔の使徒としてのドン・ファン像には触れにくい。(そもそもほとんど邦訳がなされていない)
あるいは『ヨハン・ファウスト博士』
これもほとんどマーロウとゲーテの4つの劇を上げてしまえばそれでおしまい状態で、「魔法医師ファウスト」としての姿をたちのぼらせてくれた浪漫派の詩や散文については未邦訳だし、そもそも最高傑作であるマンの『ファウストゥス博士』が劇詩ではなく長編小説で、かつ、ファウストメフィストーフェレスも登場しない現代作品なので、多くの劇作品とは並列に、あるいは通史的に処理しがたい。
日本人にとって面白そうな素材としては『ミカド』があって、これも現時点ではサリヴァンが音楽をつけギルバートが脚本を書いた喜歌劇のみがあまりに有名で、明治開国前後に、東洋の果ての神秘の国としてさんざん俎上に登った「ミカドもの」はまだ本格的に本邦には翻訳・上演等による紹介がされていない。
プレスター・ジョンの伝統を引くキリスト教徒のミカドやショーグンが、神の教えに基づき人民を教化したり、海賊を退治して大見得を切ったりするドラマは、今日では欧州でもまったく省みられなくなってしまった。
ワタクシも書庫の奥底に埋もれてしまってて、いま実例をちょっと出せないのが残念であるけど、こういうのは日本限定でもいいので誰か研究家がでてくれないかなぁ、なんて思うことしきり。(私はもう老齢なのでだめ)
ちよっと食べ過ぎで眠れなかったので、結論もとりとめもないけど日記として記載しておく。