火星の月の下で

日記がわり。

▽左のバーンサイド

なにげなくスポーツニュース見てたら、阪神−読売戦で、読売の先発が「バーンサイド」という左投手だったらしい。
えらく懐かしい名前だね。
もちろんまったくの別人なんだが、東京五輪の年(1964年・昭和39年)の左腕投手・バーンサイドを思い出してしまった。
この年、阪神は優勝して、小山の抜けた穴を埋めたバッキーが29勝して獅子奮迅の大活躍。
ところが、MVPは、本塁打日本記録(55本)を作った王貞治に持っていかれてしまい、投手主体の優勝チームで29勝したにも関わらず、MVPがとれなかった、という悲惨なことになってしまったわけだが、阪神にはもう一人外人投手がいて、それが左の変則投げ・バーンサイドだった。
シーズンでは4勝か5勝くらいしかしてなかったと思うが、南海との、史上初のナイター日本シリーズで、中継ぎでよく出てきたので印象が深い。
同じ左投げで、しかも当時ライバル球団であった読売の投手として出てきた、というのは、なんか面白い。
で、ちょっと調べてみたら、阪神バーンサイドの方は2年しかいなくて、しかも2年(64年、65年)とも負け越していたようだ。
中継ぎとともに、王に強かった印象があっただけに、たった2年とは意外だった。