火星の月の下で

日記がわり。

▽「遅れてきた世代」に遅れてきた世代

もうずいぶん前のことになるが、80年代の初頭か、70年代の終わり頃のこと。当時東京在住だったので、関西であったSF大会からの帰り道、新幹線の車中で、一緒に参加していたあるSF愛好家Tといろんな話をしていた。
私は当時から幻想文学系だったため、あまり国内のSFについて知らなくて、いろいろと彼の知識に教わるところが多かったのだが、そのうち世間話となって、ポツリと「俺たちは『遅れてきた世代』に遅れてきた世代なんだ」というようなことを言い出して、ちょっとドキッとした覚えがあった。
「遅れてきた世代」ということばの定義には、まだはっきりしたものはなかったと思うけれど、一応70年安保を体験した世代、というような意味合いでそのときはしゃべっていたように思う。
つまり、60年安保の時には、学生達は「ひょっとしたら世の中が、社会が、日本という国が、俺たちの力で変わるのかもしれない、変えられるのかもしれない」という想いがあった。
若い力でこの国を正していけるかもしれない、という期待、可能性。
結局それはかなわなかったし、今となって当時の細かい資料なんかを読むと、必ずしも当時の学生が夢見ていたような社会改革ではなく、もっとどす黒い意図なんかも背景にあったわけだが、ともかく、表面で戦っている学生達にはその可能性を信じられるくらいの希望があった。
ところが70年安保になると、10年前と同じように学生達は巨大なムーヴメントとなって、スクラムを組み、権力や旧態依然とした保守層に対してぶつかっていったけれど、もう自分たちの力、若い世代の力では社会は、世の中は、この国の仕組みは変えられない、ということがわかっていた戦いだった。
未来のない戦い、それでもなにかに向かっていかなくては出口の意味さえわからない戦い。
そんな焦燥にも似た戦いを戦っていたのだ。
60年安保に遅れてきた世代、世の中が自分たちの力で変えられたかもしれない、という希望から遅れてきた世代。
世代として、団塊の世代か、それより少し後くらいの感覚だったと思う。
その70年代の終わりにSF大会で活動し、Tはそうではなかったが、初期コミケやコミールに参加し、なにかを作ろうとしていた世代、それをTは「『遅れてきた世代』に遅れてきた世代」と、いささか衒学的に、そして自嘲を込めて言っていたのだ。
「遅れてきた世代」というものには、焦燥感、絶望感、出口のない不安、というものがあったろう。
だがそれでも彼らは勝てない戦いであると知ってはいても、その戦いに熱中することができた。
その中から、フォークが生まれ、アングラが生まれ、サイケデリックとエログロが洗練されてきた。そういった文化、若者の文化を吐き出していった。
もちろん暗黒もある。「遅れてきた世代」の自虐意識、自殺願望、グループ内でのリンチ、意思統一等、闇もあったが、少なくとも「熱中できるもの」を持っていた、そういう世代。
「『遅れてきた世代』に遅れてきた世代」というのは、そういった熱中できるものさえなくなってしまった、まさに喪失の世代、といったようなニュアンスで、当時語り合っていた。
こういった絶望と焦燥の70年安保世代から、初期コミケ世代をもひっくるめて、「遅れてきた世代」あるいは微妙にズレるけれども「シラケ世代」といってたこともあるので、定義はまだ確立していないが、その中をさらに前と後ろで分けてみると、「熱中できるものの有無」というのはキーワードたりえるだろう。
小椋佳の『しおさいの詩』の一節にこんなフレーズがある。
♪恋でもいい なんでもいい 他の全てを捨てられる 激しいものが ほしかった
この曲は1971年、まだ70年安保の余燼くすぶるときの歌だったけど、その後の、熱中できるものを喪失していく世代の心情と実にうまくマッチしていたと思う。
その「『遅れてきた世代』に遅れてきた世代」が、その後何を生み出していったか、というのは多岐にわたるので、70年安保世代のようにくくるのは難しいけれども、はるかに内向きになっていく。美少女、ロリコン、ショタ、BL、フィギュア、アニメアイドル、妄想、エトセトラエトセトラ。
世界に冠たるヲタク文化の一翼は彼らによってになわれることになったけれども、それゆえ、今、いろいろな危機を抱えるようになった。
ヲタク諸氏は昔のように、声を上げなくてはいけなくなりつつある、昔とは方向性がまるで違うし、目的も違うけれど。
少し横道にそれたが、私自身のことを思い返すと、世代としては70年安保と、Tの世代の間くらいなんだが、正直、渦中にいるときは70年安保世代は軽蔑していたし、敵だと思っていた。
ある程度の評価ができるようになったのは、時間が経ち、自分をそこからはずして見ることができるようになったからだが、当時は相当な不快感で接していた。
もちろん、安保世代が敵とした、旧態依然の55年体制や、親米勢力に与していたのではない。連中の思想基盤にあったマルキシズム的文学観、芸術観に我慢がならなかったのだ。
60年代、70年代、そして80年代の前半くらいまで、我々幻想文学マニアはマルキシストと不毛な25年戦争を戦い続けていた。
マルキシストの、社会効用のための文学、演劇観は、我々の幻視、奇想、怪奇を重視する文学を反動であり、退廃である、と決め付け、進化の敵のようにみなしていたからで、我々の立場としては、そういったものを極力無視するか、不毛の戦いをするかのどちらかしかなかった。
無視するほうがなんとなく楽には見えるのだが決してそうではなく、連中は「逃避である」と決め付け、こちらの土俵にズカズカと入り込んできて、創作活動やら研究やらを物理的、暴力的に阻害するのである。
今となっては、連中のよりどころとしたDDRやソヴィエトの芸術観が打ち倒されてしまったため、まるでそんなこととは無縁だったような顔をして大学の教壇に立っていたりする輩がまだ少し残っているが、当時の我々の戦いは、本業以外のところで、なんら結実しない不毛の戦いを強いられていたのである。
そういった経験、経緯があるので、当時はとても70年安保の連中には同情も共感もしなかったが、これだけ時が過ぎると、それなりに彼らの蒸し暑いパトスは理解できるようになった。
Tはその後、ゼネ○ルブロ○クト(現ガイ○ックス)に加わって、その活動へと結実していき、だいたいああいうものを作るような立場になっていったが、世代的にはそういった連中が集まっている、というのは、今でも少し懐かしく思い出すのだが・・・なんかまとまりがつかなくなってしまったので、この辺で終わる。
これはあくまで日記なので、まぁ、結論とか、そういうのは別になくてもいいか。(^_^;