「教師のバトン」という、闇満載のハッシュタグ
「イイ話のつもりが…文科省「#教師のバトン」に悲痛続々」
(ps://www.asahi.com/articles/ASP3Z4CLVP3YUTIL057.html)
「悲痛な声相次いだ「#教師のバトン」 文科省の中の人に受け止めを聞いた」
(ps://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/mext-teachers-1)
「文科省企画の『教師のバトン』ハッシュタグで教員現場の闇がざくざく明るみに・・・」(togetter:1688859)
これ、発生時点をたまたまリアルタイムで見てたけど、「本音で書かれたらすごいことになりそう」と思ってたら、案の定すごいことになってしまった。(笑)
うちは親が教師だったし、わしも短期間とはいえ非常勤をやってたことがあったので、その過酷さ、苛烈さは身に染みてわかってた。
そりゃあ、こうなるよね。
残業代金がたまると家が一軒買えていたくらい、というのは、現場を知らない人にわかりやすく説明したからなんだろうけど、現実問題として「365日24時間休めない」と言うことの方がはるかに重要で、営業や肉体労働で搾取されている人々とはまた違う、別種のきつさ、苦しさがあるのだ。
義務教育ではない高校の場合は、慣れと要領、そして何より地域差によってある程度は緩和されるけど、小中学校の過酷さは命に係わるくらいのひどさ、というのは、戦後すぐくらいから、ずーっと言われてきた。
高校がある程度緩和されると言っても、小中に比べれば、ということで、通常のブラック企業の中に位置づけてみても遜色のないひどさだし。
文科省と教育委員会の「わかってなさ」は、年を追うにしたがってひどいものになってきている。
昔(70年安保以前)は権利を主張する連中も少なからずいたので(それはそれで問題で、アカ教師熟成の場になってしまったりしたのだが)手を抜こうと思えば抜ける逃げ道も、ほんのわずか残ってた。
もっともそれやると悪魔に魂を売ったような感覚になってしまうけど。
ところが現在はそういう方向が幾分改善されてきたのと並行して「文句を言わない従順な連中」に見られてしまっていたりもする。
現場の過酷さがネットによって容易に知られるようになり、敬遠する人が増えてきたのは当然だろう。
教師の不足は、結婚難、少子化とつながっているようなところもあるなぁ。