火星の月の下で

日記がわり。

がんばれ、55年組

土曜日(12日)の銀河戦準決勝深浦−丸山戦を録画で見ていたら、解説が高橋九段だった。
その中で、丸山九段がいわゆる「羽生世代」の棋士で、この世代の勝負への辛さ、強さについて語っていた後、
「私ですと、谷川さんですね、谷川さんと指すことが目標でした」と語っていた。
将棋史上2人目の中学生四段棋士、谷川と、それを追って登場した55年組のことを思うと、いろいろ深みのあることばだなぁ、とあらためて思った次第。
いったい、55年組とはなんだったのだろうか、最近特にこういったことが頭に浮かぶようになった。
そのすぐ後にきた、羽生世代のすさまじい猛威の前に、今から思うと、一瞬の光芒だったようにも感じてしまうが、あの華々しい活躍をじかに見ていた世代としては、もっと上位に残ってほしい、と思うこと、しきりである。
55年組、というのは、昭和55年度(1980年四月から1981年三月)までの間にプロになった棋士で、以下の八人をさす。昇段順に、昇段時の年齢、主だった棋歴を書き出してみると、
・高橋道雄(20)王位3期、十段1期、棋王1期、タイトル計5期。
中村修(18)王将2期。
・泉正樹(19)現七段。
・依田有司(24)
島朗(17)初代竜王、タイトル1期。
南芳一(17)棋聖2期、王将3期、棋王2期、タイトル計7期。
・塚田泰明(16)王座1期。奨励会最短卒業者。
・神谷広志(19)28連勝記録保持者。
同時にこれだけいっせいに有力な若手がでてきたことは過去に例がなかっため、なかなかの壮観だったし、先に中学生四段となって先行する谷川とともに「時代が変わりつつある」と実感させてくれた棋士たちであった。
今風に言うと、谷川世代、というべきなのかも知れないが、この時点で谷川は名人挑戦者リーグ(現在のA級)入りを決め、翌年、最年少20歳で名人を奪取するわけで、世代としては同じだったが、まだ少し差が開いている感じだった。
だが、この55年組、高橋が昭和58年(1983年)に王位のタイトルを取るや、一団となってタイトル戦、一般棋戦の上位をにぎわし、80年代の後半は、目覚しい活躍だった。
特に、天才肌を見せた塚田の「塚田スペシャル」、新戦法を貪欲に開発していく中村王将の「受ける青春」、腰の重い、なかなか崩れない将棋をさす南、高橋、そしてデジタル派の先駆け、島竜王といったあたりは、間違いなく当時の潮流になっていたと思う。
加えて、皆、都会派。
南だけが大阪の出身で、残りは全員東京の出身、ということもあって、考え方も、それ以前の勝負師タイプの棋士とはかなり趣を異にするところがあり、そういた点なども実に斬新だった。
実績においても、高橋の5期、南の7期、というのは、けっこうすごい数字で、羽生世代登場以前としては、かなりの強豪だったわけである。
だが、その直後に、羽生世代、当時は「チャイルドブランド」と呼ばれたが、その一群がやってきて、あっという間にその波にのまれてしまった。
現在、なんとか一線でがんばっているのは、昨年度A級に復帰した高橋九段ほとんど唯一人で、谷川世代にまで範囲を広げてみても、なんとか羽生世代と互角にわたりあっているのは、谷川十七世名人くらいで、あとはことごとく沈んでしまった印象である。
特に、B級2組に低迷する南九段、C級1組にまで落ちてしまった塚田九段の凋落ぶりは目を覆うばかりで、かつての華々しい活躍を知るものだけに、55年組には今一度がんばってほしい気持ちだ。
現在、B級1組以上にいる55年組の棋士としては、高橋九段ただ一人、次がB級2組の島九段、中村九段、南九段・・・といったところで、まことにもってさびしい限りだ。
特に南九段は、もう少し上にいてほしい棋士なんだけどなぁ・・・。