火星の月の下で

日記がわり。

▽和歌山大学経済学部の闇

税金が無駄遣いされる現場 独法・和歌山大学経済学部の場合誠天調書さんとこから)

だが、彼は実はドイツ語が読めない。ドイツ語の資料が読めないのである。だからドイツ金融恐慌の論文や本がかけるはずがない。彼との会話などから判断すると、ドイツ語はおろか、英語の能力も中学生程度だろう。そして経済学の専門的な知識もない。語学ができないから「外国書講読」という外国の経済分析をやっている教員にとっては一番楽な講義はやらない。20年近く同じ大学にいながら、一度もやっていない。できないのである。

うわ、なんかすげーなぁ。
昔の文学部とかで、帝大出身の高名な文学博士が、実は専門語をしゃべれなかった、という話はけっこうよく聞いたものである。
高名な仏文学者がフランスへ行ったらオペラ座で「あなたはフランス語がしゃべれないみたいだからチケットを売れない」といわれた話とか、ドイツの学会に行く某独文学者が院生をドイツ語の通訳につけたとか、その手の話は、けっこう昔から聞いたことがあった。
だが、それはたいてい話の枕で、その後「○○先生はかように会話はさっぱりだったが、読解能力は著しく高く、先生の書かれた独文(あるいは仏文)の研究は、本国でも高く評価され」云々、という話が後に続いたり、ネイティブの研究者が、しゃべれないけどすごい研究者だった、みたいなオチはついたものだったのである。
まぁ、会話ができないのに、どの程度その読解ができていたのか、というつっこみもできなくはないが、まだまだ欧州への渡航が命がけだった20世紀前半の研究者なんかでは、ありそうな話だなぁ、と、そういったエピソードを聞いたときには思ったものだった。
しかし、ここに載っている話は、たぶんそういう次元ではないだろう。売官、買文なんだろう、と思う。
実名で載っていて、しかも対抗意識がむき出しなんで、たぶん、かなりの真実度だと思われる。今後のなりゆきが注目されるところであるな。