火星の月の下で

日記がわり。

村山聖の命日

NHK杯1回戦最終局、行方八段−村山慈明五段戦、解説羽生三冠。
村山の対局を羽生が解説、ということで、同じ姓の村山聖のことが頭をよぎったが、どうやら今日が命日だったらしい。
暑い夏の日だった、というのは、ボンヤリ覚えていたが。
全盛期に病に倒れた棋士、というと、山田道美八段と村山聖八段(死後九段)の名がすぐ思い浮かぶが、山田八段が序盤研究、集団研究の革新をなし、その後の中原黄金時代に大きな影響を及ぼしていたのに対して、終盤に驚異的な眼力を発揮し「終盤は村山に聞け」とまで言われた村山八段とは対照的だった。
終盤の強い棋士、というのは、村山以前だと森鶏二とか塚田正夫とかいろいろ名前が挙がるし、村山以後だとスーパーあつし君の宮田等、いろいろいるけど、村山の深さと正確さという点にはまだ遠いのではないか、と思うことがよくある。
小説、マンガ、ドラマにもなり、死後いろんなエピソードが知られるようになったが、生前の印象だと、打倒羽生の最右翼、というより、病気さえなかったら、村山が全冠制覇、将棋界制圧してたんじゃなかろうか、と思う時が多かった。
こと「棋才」という点に限定すれば、加藤一二三、谷川浩二、村山聖が将棋史のトップ3で、羽生など足元にも及ばない。まぁ、強さというのが「棋才」だけではない、というのは、史上最強棋士が大山十五世、次強が木村十四世だろう、といったあたりによく示されているとは思うが。*1
ともかく、一将棋ファンとしても、村山八段の思い出は多く、語りきれない。
ただ、唯一のタイトル戦となった、谷川との王将戦をあのときだけでも万全の体調であれば、という想いだけを記して故人の棋譜の思い出にふけろう。

*1:対戦成績や、生涯成績で中原や羽生の方が上、なんて書いているお子ちゃまがときどきいるけど、年齢、棋戦数等の条件が全然違うのに数字だけ比較してもまったく無意味。全冠制覇が何年続いたか、無敵時代が何年続いたか(木村十四世)ということの方がはるかに重要である。