火星の月の下で

日記がわり。

○隠されてきた教育

一昨日の、漫画家志望のまとめレスに続いて、なんかTVでこんなのやってたらしい。
女子高生 「私この絵で就職するんだ…」 → 教師 「これが精一杯…」 採用担当 「残念ながら…」
番組を見てないので、このスクリーンショットだけを見ての判断なんだが、一昨日書いた「普通の人が目指している」感じがビンビンするのう。
絵画美術ではなく、商業美術をめざす、というのは、実は芸事の世界に近いんだよなぁ。普通の人が目指すには、相当厳しい世界だ、というのを周囲の人がちゃんと教えてやらんといかんと思うのよ。
マンガ、メーター、ラノベの挿絵等々、こういう職場っていうのは、つい最近まで日の当たらない世界だった。
ところが裾野が広がってきたのと、上位の層を見るとなんかとんでもなく金が稼げるらしい、好きなことをやって生きていける、みたいな幻想というか、一部の実利だけを見た思い込みというかが広まってきて、昔ほどの社会的差別的偏見は薄れてきている。
だが、長い間日の当たらない場所にいたため、それを志望する若い世代に対する教育、情報の整備提供、なんてのがまったく整ってこなかった。
だから、たとえば入試等の進学指導なんかで「この点数じゃA大学は無理、B大学でギリギリ冒険校、C大学を本命にして、D大学を滑り止めに」とか「Eという職業はきみの適性、偏差値からか考えて厳しい、Fならこういう大学がある」みたいな、数字を元にしたマニュアルみたいな指導ができない。まぁ、こういう数字偏重の指導もいろいろと問題があるので、これを賛美推奨するつもりは毛ほどもないけど。
ともかくその結果、担当者(担任見、進路・就職指導等)の主観と、思い込み、不確かな知識による無責任な励まし、推薦、なんかで、人生を狂わされてしまいかねない、という事態になる。これもある意味教育問題の一つなんだろう。
一昨日に書いたこととも関係するが、芸事には「狂気」が必要である。
たとえほのぼの4コマみたいなものを書いていたり、普段の人当たりが穏やかで優しい人だったり、特にそれっぽい勉強もせずにプロになっちゃいましたー、みたいなことを言う人だって、創造衝動みたいなものが常にあって、狂気をどこかに秘めていたりする。
それは凡人の「何かにこだわっています」とか「人とはちょっと違う趣味があります」なんてのとは、まったく違う次元での狂気。
そういうものを現場で教えられない、指導できない、ということなんだよなぁ、学校の目的を考えたら当然とはいえ。
上のリンク元ではこの高校生の絵についていろいろ言われているみたいだけど、ワタクシはこういうことを指導できない学校現場と、にもかかわらずその現場に相談にいっている、ということの方に興味がわくけどね。
元プロとして、長い間、マンガ絵を差別してきた学校現場に対して、「ザマミロ」みたいなひねくれた感情も少しあったりはするが。(^_^;