火星の月の下で

日記がわり。

○「古き良き時代」に想う

基本的にアニメブログの方では、嫌いな作品、傾向についてはスルーの方針なので、ここでは少し否定的に見ている作品について書く。
・『大人女子のためのアニメタイム』
これに関しては、まぁ、こういうのもあっていいかな、という程度のことは思っている。ワタクシは嫌いだけど。
嫌いなのは、女性描写のあり方とか蔑視とか、そういった思想的なことではなくて、絵が気持ち悪いので、もっと正確に言うとキャラデザインが気持ち悪いので、ということになる。
作画にどれだけ重点を置くか、というのは人によってさまざまで、それほど気にしない人なら、記号的効果さえあれば別に気にならないんだろうけど、一応昔現場にいたこともあって、やはり作画はかなり重視しているし、鑑賞の重要なポイントにもなっている。
それゆえ、あれくらい自分の趣味とはずれたデザインということになると、よほど物語にひきつけられないと、拒否反応がでてしまう。
物語も不倫モノという、かなり嫌悪感のあるジャンルだったし、まぁ、この作品は第1話だけで十分だろう。
あと「大人女子」というネーミングも気持ち悪い。
女子って言っていいのは、結婚可能年齢まで、つまり16まで、というのがワタクシの考え。
感覚としては、16でも「女子」なんていったらいかんだろ、12までじゃないか、とさえ感じているけど。
だいたい、結婚して子どもまでいる女性をつかまえて「女子」なんて言ってる感覚が異常なんだけどなぁ。
成人に向かって「女子」「男子」なんて言うのは、差別じゃないのか。
甘えの心理とか、「女」ということばにするとなまなましさが出てくるとか、そういう点もあるかもしれないが、そっちにはふみこみたくないので、とりあえずこんなところで。
・『テレビまんが『昭和物語』』
今期一番いやだったのが、これ。こっちは作画デザインに関しては、趣味ではないけど、上の作品のような「嫌悪感」まではいかなかった、まぁ、話さえちゃんとしてれば、普通に鑑賞できる水準。問題はその話。
昭和39年、1964年の東京の下町家族を舞台にとってるんだけど、この偽善に充ち満ちた描写に唖然となってしまった。
1960年代前半というと、まだ現在のような東京の一極集中は起こってはいなかったけど、起こりつつあった頃で、そこには地方の家庭を崩壊させていく、東京という存在がぎらつき始めた頃だ。
集団就職、金の卵、といった現象で、東京では主に北関東、東北から、大阪では主に四国、北陸、九州から若年労働者を吸収し、地方が疲弊していくスタートとなった時代である。
そこで家庭は引き裂かれ、町村が荒廃し始めていく時代で、都市部だけが「幸福」を享受していく時代。
地方から都市への人口移動は、それ以前、戦前からもあったけど、集団就職、というのは、まったくそれ以前と規模が違っていた。
そういった犠牲の上になりたった幸福を描くことが悪いとは言わない。
しかし、その時代を「古き良き時代」「懐かしい風俗」という観点だけで語ってしまうのはいかがなものか。
家族構成を見ても、少し首を傾げるところがあって、主人公の少年は、転校生の少年が貿易会社の社長の息子で、金持ちで珍しいもの、高価なものを持っているのが羨ましくて仕方がない。
しかしこの少年の家庭は、小さいながらも工場を経営していて、3人いる子どものうち、長兄は大学に行っているのである。
60年代、子どもを大学にやれる家、というのは、平均より上の家庭だった。
勉強ができるから、学問が好きだから、という理由だけではどうにもならない家庭がまだまだ多くいた時代である。
普通ならこの少年だって平均より上の層にいた、ということなる。現代とは違うのだ。
当時はまだ、旧帝大系の大学に現役で通る学力を持っていながら、高卒で働かなければならない家庭、というのは普通にあったのである。
中卒で集団就職で家庭がひきさかれるわけでもなく、その気になれば大学へも行かせてもらえる家庭の子。
こういった恵まれた環境にいる当時としては少数派に属している層を、いかにも「貧しいけれどささやかな幸せ」を見つめていた時代、として描写されると、その時代を生きていた人間としては、ちょっとムカッときてしまうのである。
ひみつのアッコちゃん』(初代)だったと思うが、金の卵と呼ばれる少年が主人公の家の近くのに越してきて働くんだけど、「金の卵」であることを鼻にかけて、傲慢な態度を取る。ところがこの少年の中には、中卒で家族と別れて上京してこなければいけなかった、という寂しさが心の中で渦巻いていて、という話あった。
これなどは、日常の幸福の近くにそういった穴がいくらでも開いていた、という例である。
また、この年の2年後、1966年に『若者たち』というテレビドラマが始まった。
ティーフとなった、親のいない5人兄弟というのは大阪の話だったけど、これを東京の下町に置き換えて、家庭ドラマとして大成功した番組である。
一見するとこれも、「貧しかったげと、幸せだった時代」を描いているが、同時代だけあって、無茶なことはやっていない。
親がいない、という過酷な状況、そして長男は大学なんぞにはいっていないこと、等々、少し平均とは違っていても、当時の社会感覚として納得できる構成になっていた。
私なんかは、当時としては相当恵まれた環境にいた。
望みさえすれば、の側の家庭だったし、かなり早い時期に家にテレビ(モノクロ)が来て、近所の級友が見に来ていた。
しかし、それゆえに、学力があるのに進学できない同窓生、なんていうのもけっこう見てきたので、自分の進学が家庭環境に恵まれていたからだ、という意識は常に心のどこかにあったものだ。
それだけに、ああいう描写をされると、ちょっとこれはいかがなものか、と思わざるをえない。
これが現代、とまで言わなくても、この設定の10年後、オイルショック前後の頃なら、ここまで矛盾は感じなかったのに、と思う。