火星の月の下で

日記がわり。

宮下啓三先生

訃報:宮下啓三さん75歳=慶応大名誉教授
慶應では、タテマエとして福沢諭吉だけを「先生」とし、教職員であっても、告知等では「○○君」とされるのだが、やはり恩師としての敬意から、宮下先生、と書いておきたい。
以前にも少し書いたけど、大学は2つ行った。
中学時代から、ほんとうは文学部へ進学したかったのだが、アカデミズムにおけるマルキシズム全盛の当時、独文とか哲学とかいうのは、まさに赤の巣窟といった印象が強く、やむなく「学問は趣味ではなく、生きるためのもの」と割り切って、理工系に進学した。
だが、卒業し、勤務していても、少年時代の夢絶ちがたく、やはりもう一度ちゃんと系統だった勉強がしたい、と思い、慶應*1の門を叩いた。
専攻は哲学だったけど、もとより学歴のために行ったわけでもなかったので(もちろんちゃんと卒業はしたが)、他学科、他専攻の講義もよく聴きに行った。
そんな中で、宮下先生のドイツ演劇、メルヘン研究などの講義、特殊講義などは足繁く通ったもので、無理を言って同じ科目を2年続けて受講させていただいたものもあった。
独文専攻の学部生、院生なんかと一緒に、大学を出て歓談したのも楽しい思い出だ。
私がホフマンやアルニムを読んでいる、と知って興味をもってくださり、先生のホフマン論、アルニム論などの片鱗を伺わせていただいたのも、今となっては貴重な思い出。
卒業して、元の職場に戻ってからも、ときどき聴講させていただいたこともある。
東京を離れてから、母校も含めて疎遠になってしまったが、心の中にはいつもあの頃の学生時代があった。
身バレしない範囲で、なのでこういう書き方になってしまったが、私にとって、もっとも影響を受け、敬愛する恩師であったことは間違いない。
年齢を思うと、早い気もするし、衝撃であり、残念である、という気持ちもまだ強い。
心より哀悼の意を記しておきたいと思う。
先生、ありがとうございました。

*1:いろいろと調べた結果、当時、それほど赤くないところ、として選んだ。外からだったので、実際にはもっと他にも選択肢はあったかもしれないが、この判断は今でも間違ってなかったと思っている。