火星の月の下で

日記がわり。

○悲劇と、鬱展開

アニメやマンガなど、エンタメ系の作品感想なんかを読んでると、ときどきでくわす「鬱展開」ということば。
程度の違いはあるけど、悲劇的展開になったときにこう言われることが多いんだが・・・悲劇というのは、「鬱」なのだろうか、ちょっと疑問に思うことがある。
適用範囲が広いので、具体例を出してきづらいんだけど、「鬱展開」と言われると、どうも否定的ニュアンスを含んでいるように感じることがある。被害妄想かなぁ。。。
娯楽作品、特にメリケンスタイルのものの場合、ハッピーエンドが基本になってきている日本の戦後文化だが、元来日本人は心中物とか、悲劇的なものにも嗜好性があったと思うのだ。
流行歌なんかでも、長調歌曲より短調歌曲の方が多いようだし。
悲劇、とりわけ市民悲劇は、人間の暗黒面や、宿命感なんかを描き出してくれるので、悲しみの感情を励起すること多いので、「鬱」に近いのかもしれないが、それでも悲劇的結末を「鬱展開」と言われると、ちょっと抵抗があったりする。
もちろん、市民悲劇的ではないものに対して言われる「鬱展開」でも、スプラッタもどきのきちゃない映像を除けば、たいてい好きなので、悲劇を「鬱展開」と言うな、なんて言うつもりはないんだけど、どうもいつも違和感があるんだよなぁ、鬱展開ということばに。