火星の月の下で

日記がわり。

奈良と桐山九段

奈良県の広報誌「県民だより奈良」の今月号に、桐山清澄九段が登場した。
スポット記事なので、そんなに大きな扱いではなかったが、わりとよく知られている升田名人との出会いのことなんかがご自身の筆で書かれていたようだったので、将棋に関係しているところだけ少し抜き出してみる。

「ふるさとはありがたきかな」
日本将棋連盟棋士・九段 桐山清澄さん。大阪府在住(下市町出身)
(前略)
四歳の頃に、祖父に手作りの将棋盤で将棋を教えてもらい、小学生の頃には近所の大人たちに交じって縁台将棋を指すのが何より楽しかった。
そして運命の出会い・・・
当時、名人・王将・九段のタイトル独占していた升田幸三名人(実力制第四代名人)が、隣町へ避暑に来られたときのことです。
近所の旅館のご主人が「大人たちと将棋を指す子がいる」と引き合わせてくれました。
雲の上の人の大棋士に将棋を指してもらい、「プロを志すなら東京へ来ないか」という思いがけない言葉をいただきました。
楽しい将棋が思いきり指せるならと上京、小学四年生の新学期から東京での内弟子生活がスタートしましたが、東京と奈良との言葉の違いに悩み、一学期だけで内弟子生活は終わりました。
それでも将棋を指したい一心で、大阪の将棋連盟で塾生として修業を積み、十八歳でブロ棋士になることができました。
(後略)

升田名人自身も、かつて桐山九段について、
「弟子に取ったら、ホームシックになって帰ってしまった、その後、弱い方のマスダの弟子になった」
みたいなことを書いていたのを読んだことがあった。
このあたりのことを、今度は当事者たる桐山九段の側からの記録なので、たいへん興味深いところだ。
「弱い方のマスダ」というのは、故・増田敏二六段のことで、桐山九段はこっちのマスダに弟子入りして、その後大成したわけである。
しかし文字が限られていたからだろうけど、広報誌の方には、増田六段の名前が出てこないのが、少し残念。(^_^;
ついでに言うと「升田幸三」に「ますだこうぞう」とルビがふってあるのだが、正確には「ますだこうそう」で、「そ」は濁らない。
この辺些細なことではあるけど、人名なんでちゃんとしてほしかったかな。
奈良県出身の棋士、というのは他にもいるけど、タイトルもとって九段にまで上り詰めた、という大棋士では桐山九段だけ。
ただ奈良には違いないんだけど、吉野郡なので、南和地方だから、ワタクシの住んでいる北和、あるいは橿原、桜井、大和高田といった中和とも違うので、相当遠い感覚ではあるが。