火星の月の下で

日記がわり。

ツァハリアス・ヴェルナーの歴史劇

夏コミ用に幻想作家のことをいろいろまとめているんだけと、どうも間に合いそうにない。(笑)
そんなわけで、今後のメモのために、まだ今まで書いてなかった作家について少し。
・アルニム。
今一番興味があるのがアルニムとマイリンクなんだけど、どちらもちゃんと調べて腰を落ち着けて書きたいし、アルニムについては今まで少しだけだけど書いているので、今回はパス。
・フーケ。
フーケは戦前けっこう翻訳点数があったようなんだけど、現在では『ウンディーネ』ただ一作の人、みたいな扱いになってしまっている。すこぶる残念だ。
ただ私自身も、フーケの全集を持っていないので、全体像がつかめない。今後の課題の一つ、としておく。
・シュピース。
フーケ以上に日本では不遇の作家。
邦訳もほとんど『侏儒ペーター』の一篇のみ・・・だと思う。詳細に調べてないのでわかんないけど。
ただシュピースは本国でもまだまとまった調査復刻がなされていないので、全体像の把握、というのは無理かな、少なくも私の生きてる間には。
それでも『ペーター』以外の代表作にも少し目をむけたいとは思っている。
・ツァハリアス・ヴェルナー。
そして今回のメイン、ツァハリアス・ヴェルナー。
ドイツ・ロマン主義の中で、運命劇というジャンルの代表として取り上げられることが多く、文学史的にはかろうじてその名を残している作家。
国書のドイツ・ロマン派全集でもいくつかの運命劇が取り上げられそこで翻訳されているが、現在の視点ではグリルパルツァーの『祖先の女』の方が文学的にも芸術的にも高く評価されているだろう。
グリルパルツァーも大好きな劇作家なのでこの評価に別に異論があるわけではない。ただまぁ、運命劇を切り開いたのがヴェルナーの『二月二十四日』で、ロマン派運命劇の頂点にあった、という点ではヴェルナーの方を上げてもいいだろうと思う。
だがヴェルナーの劇にはもう一つ重要なジャンルがあって、宗教的(キリスト教的)色彩を色濃く残す歴史劇の一群で、今日まったく省みられなくなってしまった劇ばかりだが、少なくとも当時の大衆劇、コッツェブーやイフラントのものよりは、はるかに重要。
以下に、今後の研究課題として簡単にふれておく。
『ルター劇』Martin Lutter oder die Weihe der Kraft
おそらく『二月二十四日』の次に重要な作品、というのならば、これを上げるべきだろう。
Weiheとは「聖別」の意味で、聖女カタリーナの愛によって浄化されていくさまを示す。
クリスマスを表わす「Weihnachten」という語も、これに関係している。
バルト海の十字架』Kurz an der Ostsee
ホフマン愛好家にとっては、劇付音楽をつけたことでよく知られている作品。
ドイツ騎士団によってプロイセンの異教徒を改宗させる、という、現代だと甚だ問題のありそうな題材であるが、描写にはけっこうロマン主義的なところが多い。悪霊と聖者の葛藤とかね。
フン族の王アッティラ』Attila, König der Hunnen
歴史劇といってしまうと、問題がありすぎるかな。(笑)
「神の鞭」として堕落したローマ市民の前に現れたアッティラが、殉教者として倒れるまでの姿で、少なくともアジア系だったと言われるアッティラの面影はほとんどない。
『ワンダ』Wanda
サルマタイの女王ワンダが、かつて愛した騎士が死んでしまったと勘違いするが、それが再び女王の前に現れたことによって、女王の愛と苦悩が語られる、という悲劇。結末はクライストの『ペンテジレーア』を思わせる。
『聖クニグンデ』Cunegunde die Heilige
聖女クニグンデの、理想と愛欲の間での悶え。
他にもあるかな、ヴェルナーも全集を持っていないし、Projekt Gutenbergにもまだアップされてないので、もう少し調査研究してからあたりたい。