火星の月の下で

日記がわり。

○『平清盛』 第10回 義清散る

「散ってないやん」・・・とは前回の予告の時から思ってたけど、俗名として「散る」ということか。
それはともかく、佐藤義清が出家に至るまでのお話。
衣装の採光が少しずつ変わってきているるように感じたんだけど、その辺は録画してないからちょっと正確にはわからんな。
ただ印象としては、地味に少しずつ明るさを持ち始めているようではある。
総じて美術は、毎回すこぶる良い。
状況と時代の変化でいろいろ変えていて、しかもそれを少しずつの変化にしている、というのも好印象。
女同士のけんかの部分は、見ていてあんまり面白くないし、史実もたぶんこんな下世話なことはなかったろうと思う。
もっと経済的要因もあったしね。
ただ去年のスイーツ大河があまりにひどかったので、これでもまだかなり改善はされている、という気はするが。
イケメンが来て侍女が騒ぐ、というのも、当時の価値観からすると少しおかしいんだけど、まぁ、それは歴史物をどう考えるかにもよるので、一応不問としておく。
で、西行
と言っても、出家してすぐに西行を名乗ったわけではないので、ここですぐに西行、と言ってしまうのはアレなんだけど、出家の原因を「失恋説」にとるという、これまた下世話な解釈。
文芸上の作り話だろ、と思ってWikiを見たら、一応それなりに支持している学者さんとかもいるのね。
雨月物語』で語られる、西行と亡霊となった崇徳院のお話は、史実ではもちろんなく創作文芸上の話なんだが、失恋説をやるくらいなら、是非このエピソードも扱ってほしいものなんだがな。(笑)
ついでに言うと子供を足蹴にしたのも、西行物語での作り話です。(^_^;
清盛の無二の親友、みたいな描写というか表現もあって、いかにも女が書いた脚本です、と言う感じで、このあたりも少し抵抗があった。もちろん知己ではあったろうと思うが。
女が「男の友情」を描くと、なんでこんなに軽く、きれいごとになっちゃうんだろうね、脚本に限らず、マンガや小説でもそうだけど。
前回冒頭の亀、土曜日の再放送で確認したら、どう見てもミシシッピアカミミガメミドリガメ)の少し成長して緑色が落ちた頃の個体だね。
こんな子供でもわかるようなミスは、ちょっとカンベンしてほしいところ。