火星の月の下で

日記がわり。

フェルディナンド・バイエルの生年判明

いささか遅い記事なのだが、たまってた夕刊の切り抜きをやってて知ったので、メモがてら。
バイエル:1803年→1806年生まれ 謎の音楽家、経歴判明 奈良教育大教授調査

19世紀ドイツの作曲家で、世界で最も有名なピアノ教則本の作者として知られるフェルディナント・バイエルの洗礼名簿や戸籍原本が、安田寛・奈良教育大教授(日本近代音楽史)の調査で見つかった。
「謎の音楽家」とされてきたバイエルの詳しい経歴が初めて判明。生年が通説の1803年ではなく1806年だったことや、ワーグナー(1813〜1883年)の兄弟子であることも明らかになった。
これまで知られていたバイエルの経歴は(1)1803年7月25日、独・クベアフルト生まれ(2)マインツ音楽出版社「ショット社」の専属編曲家として活躍後、全編オリジナルの「バイエル教則本」(1850年初版)を制作(3)1863年5月14日にマインツで死去−−だけだった。
当時の閉鎖的な音楽界では編曲家としての経歴を異端視され、体系的な研究が行われてこなかった。

夕刊の記事はもう少し長かったが、要点としてはこんなもんだろう。
3月31日の夕刊なのだが、現時点でWikiのフェルディナンド・バイエルの項目ではまったく触れられておらず、生年も1803年のままなので、記録的な意味でここに記載しておく。
省略されている夕刊紙面の方の記事では、

バッハが音楽監督を務めた名門音楽学校で、ワーグナーの師・バインリッヒに学んだことなどがわかった。

等、倍以上の記載があり、アーカイブ的な意味を考えれば、ネット版の方にももう少し詳しく載せておいてくれてもよかったんだが、新聞のアーカイブそのものがあんまり記録的なことをやろうとしていないので、まぁ、仕方ないかな。