火星の月の下で

日記がわり。

◇【訃報】「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミさん

伊藤エミさん71歳=歌手「ザ・ピーナッツ」の姉

愛知県出身。
一卵性双生児の妹ユミさんと、ザ・ピーナッツを結成し、1959年「可愛い花」でデビュー。
卓越した歌唱力と美しいハーモニーで一躍人気者となり、「ウナ・セラ・ディ東京」「恋のフーガ」などヒット曲を連発。60年代の和製ポップスの黎明(れいめい)期を築いた。
またテレビバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」の司会を務め、お茶の間の人気者に。女優活動も行い、怪獣映画「モスラ」(61年)に「小美人」役として出演し話題になった。

60年代の歌謡曲を代表するデュオ、と言ってもいいと思うザ・ピーナッツの、元ジュリー夫人の方が亡くなられたらしい。合掌。
今のサブカル系の若い人達にとっては「小美人の人」っていう意識の方が強いかも知れない。
もっともかくいう私も、少なくとも映像としてのイメージで言うとまっさきに『モスラ』の小美人役で「♪モッスッラーヤ、モッスッラー」と歌っていた姿が最初に思い浮かぶのだけど。
でも私の世代だと、歌手としての印象の方が強いのは当然で、記事の中にある曲では「恋のフーガ」などが、町中の商店街のスピーカーなんかでひっきりなしに流れていた時代なんかを明確に思い出せる。
ヒット曲はそれ以外にも多かったし、とにかく抜群の歌唱力とハーモニーで、当時聞いていてうっとりする、という表現がこれくらい似合うデュオも珍しかった。こういうのが本来のJPOPなんだよな。
曲についての思い出も当時の時代と重なってくるくらい、60年代を代表する歌手の一組、と言えるだろう。
恋のフーガ」「モスラの歌」などとともに忘れられない名曲が「大阪の女(ひと)」
これ、最初作曲の中村氏は、大阪出身の人に、と思っていたらしいのだが、ピーナッツのテスト録音を聞いてびっくり仰天。
「はぁ・・・なんちゅうきれいな声や」と驚いて絶句した、というエピソードが大昔、深夜放送で語られていたことがあった。たぶん(ゲゲゲの)キダタローの番組かコーナーだったと思う。
聴取者レベルではもちろん、プロの間でもものすごく高く評価されていたその歌声は、まさに一世を風靡していた、といってもいいくらいの豊かな歌唱力とハーモニーだった。
決して小美人とモスラの唄だけの人ではなく、というか本来はそっちが余技で、本職の歌謡曲の方は今でも圧倒される曲が多い。
すばらしい歌声を残してくれたことに感謝したい。哀悼。