火星の月の下で

日記がわり。

◎百合の重さと薔薇の重さ

『ひだまりハニカム』第1話見てて思ったんだけど、女性が描く「女の子同士環境」って実にいいですな、いまさらだけど。
今回見ててつらつら頭をよぎったのは、女性が描く「女の子同士環境」のすばらしさ。
まどろっこしい描き方をしたのは、レズ、百合、単なる女の子の友情、全部ひっくるめて、ということでなんだが、最後のやつは、男子がそれほど描きたいってものではないだろうけど。
ところがヤローが描く薔薇ってのは、もちろんあるにはあるけど、大半がハードゲ○になってしまって、とても「精神性の優位」「肉体接触の禁忌」といった、女子にとっての百合みたいにはうまくいかない。
百合は女子が描いてもかなりの水準のモノができるが、薔薇は男が描いてもそれほどの水準にはならない、こんなことを考えていた。
これを、女子向け「男同士環境」モノにリアリティや重さがないからひきつけられない、ととるか、男側がそういった繊細さを同性愛の上に開花できない(もしくはしにくい)ととるかで、表現する立ち位置が変わってくるだろうけど、コミック、アニメといった領域ではある程度は言えるかな、と思ってしまった次第。
昔、草の根のオフ会なんかに行くと「少女マンガ読んでます」と、いかにもヲタク上級者みたいなドヤ顔をするのがいたけど(特定のモデルがあるわけではないので、責めている、ととらないでね)そういう連中に「ふうん、BL読んでるんだ」と聞くと、ものすごくイヤな顔をされてしまうことがよくあった。
一応わしも昔は短期間とはいえ少女誌で描いていたので、そう言いたくなる心理はわからんでもないし、本来ならそこで「わしは昭和40年代、1960年代から読んでるし、描いてたぞ」と言って、むなしいバカ自慢にもっていくのが空気なんだろうけど、やはりちょっと「同性愛モノ」が脳裏をかすめてしまうのである。
もちろんこれもどこまでを定義とするか、でかなり変わってくるんだろう。
つまり薔薇モノをもっと広く、ジャ○プ等に連載されている美少年スポーツモノ、アクションもの、なんかにまで適用すれば必ずしもあたらない。
描いているのは男性(最近は女性も増えたけど)だろうしそれを読む女性側が妄想素材として「BL扱い」していたりするだろうから。
でもそれは、タテマエとしてそれを狙っているわけではないので、一応はずして考えるべきだろう。狙ってやられると返ってさめる、みたいな声も女子側から聞くしね。
ぼんやり思うのは、少女の肉体、精神の、性別をこえた吸引力が、少年のそれよりも少しは上回っているからではないか。・・・いや、これだと当たり前すぎて結論としては、いささか面白くないね。少年愛っていう別の側面も取り上げなくてはいけないし。
有名なセリフ「ホモがきらいな女子なんていません」・・・というヤツ*1があるが、このセリフが出てきてからある程度の年月を経て見ると、正確には「ホモ」じゃなくて「男子」なんだろうな。
実際、ヤローなんて汚いから嫌い、と心底思ってる女子って一定層いるし、タテマエでなく本筋として男の同性愛を嫌っている層だっている。
なんか何書こうとしてたのかわかんなくなってしまったが、まぁ日記なんで、こんなことをツラツラ書いておいてもいいでしょう。
とにかく、薔薇より百合の方が至高にして繊細、上級者の魂を引きつける、ということにしておく。
もっとも、話作りのうまさ、というのは、BL書いてる女子の方が高い水準と感じるときもあるので、嗜好性のことであって、作品の優位とか、そういうのではないので念のため。
それとショタ愛は、この場合、除く。

*1:こんな有名なのに注をつけることもないと思うけど、『げんしけん』大野のセリフね。一応念のため。