火星の月の下で

日記がわり。

◎「嫌なら見なくてもいいのに」というコトバ

「嫌なら見るな」というのはあるタレントが、偏向番組を作り続けるテレビ局に対する市民デモを見ていたときにもらしたコトバだったようだけど、「見るな」ではなく「見なくてもいい」*1と穏やかに言い換えてみると、娯楽作品に対する姿勢としてある意味真理もあるよな、と思う。
こんなことを考えてしまったのも、毎シーズンどこかで
「○○という作品のどこが面白いのかわからない」
「なんで○○みたいな作品の人気があるの」
・・・みたいな話題がどこかに起こってくるのを見るからだ。
そういうのを見るたびにいつでも
面白くない、つまらない、と感じたら無理して見ることはないんじゃないの?
・・・という感想がもれるわけよ。
もちろんその背景には「話題になっている作品だから、自分もその中に入って楽しみたいのにできない」という意識というか感覚もあるだろうから、一概に「わからなかったら見なくてもいいよ」と切り捨てるのもどうかと思うけど、ことさらつまらないと感じる対象に対して無理に言及はしなくてもいいと思うけどな。ストレスもたまるだろうし。
人気作をつまらなく感じるのが辛い
それに関係してこれ。
ここで取り上げられている作品については、ことさらつまない、とは感じないけれど、同様に大人気の作品だけど全然面白くない、つまらない、と感じる作品はある。
私の場合だと、現行作品では『進撃の巨人』・・・一応原画陣のチェックとかCVの鑑賞とかで1話もかかさず録画視聴してるけど、これがあきれるくらいつまらない上に、筋にある穴が気になって仕方がない。しかも限りなくあるゲームのパクリくさいし。
しかしこれだって個人の感想だし、そのことを持って、こんなつまらない作品なんか見るな、どこが面白いのか知りたい、つまらないと感じたところを説明してやる・・・なんてことは考えないようにしている。
面白いと感じる人がいて、そしてまたつまらないと感じる人もいる。
これが娯楽作品だと思うし、それぞれに感想を持つことができるのが近代市民社会の成果なのではないか。
もちろんそれを仕事にしているような人だとまた事情は変わってきて、自分の趣味嗜好とまったくあわなくてもなんとか食いついていかなくてはならないこともあるだろうけど、娯楽作品であれば、たとえ世間が「革命的傑作」「歴史的名作」「感動した」「面白くて何度も見直している」というような評価を下していても、自分が面白くなければ面白くない、でいいんじゃないかな。
間違えてはいけないのは
「こんなのをおもしろがっているヤツはバカだ」
「これの面白さがわからんヤツはクズだ」
・・・と自分の嗜好と会わない人間を否定しちゃうこと、これだけはやっちゃいけないと思う。

*1:元のコメントは「見るな」という命令口調の強いことばではなく、ネットで流れていくうちに変貌していったものだけど、今回はこれが主題ではないのでこのあたりは曖昧にしておく。