火星の月の下で

日記がわり。

◎キャラアニメだって見抜こうぜ

旧エヴァのアスカが好きだった 今のアスカは何なのあれ
TV放映開始頃かな、仕事で東京から大阪に引っ越してきたのは。
最初の1クールを見て、これはものすごいものが始まったな、と思いつつ見てたら、最後であれ。
あのラスト2話のぶん投げに至る前、20話前後から妙な感じになってきて、尻切れトンボか破綻してるかかな、と疑念を持ってたら、壮大にやらかしてくれたあのラスト、今でも当時の感情はわりと覚えている。
そして結論、SFとかニューカルチャーとかではなく、キャラアニメだったんだ、と思った。
あの閉め方から、旧劇場版に至る流れでは言いたいことはいっぱいあったし、草の根でけっこう言ったからもういいか、という気持ちになったけど、21世紀も10年以上過ぎていまだえんえんとコンテンツ産業として生き残っているところを見ると、ガチャとたいして変わらんレベルになってんな、という気になってくる。
一度生み出されると、現役キャラかなつかしキャラかの違いは別として、キャラクター産業の中に組み込まれていくのでそのこと自体はどうでもいいんだけど、未だにカモネギになって釣られている人が多すぎなのは、はたしていかがなものか、という気がしないでもない。
個人的に一番の功罪は「真にオリジナルなものなんてない」と原作者(・・・と言っていいかどうかはあるが)が言い放った結果、「別にオリジナルでなくても良いんだ」という空気がそれまで以前よりはるかに濃密になってしまったこと。
あの発言から、クリエイターに「オリジナリティ」があってなおかつ「面白いもの」を生みだそう、という意識が弱まってしまった感じになったこと。
「真にオリジナルなものなんてない」なんてのは緒戦哲学問答で、実制作の現場の人間が言っちゃいかんよなぁ、というのをけっこう感じたものだった。
キャラアニメと割り切っていればかなり好きな部類だけど、SFとかご大層な題目がついてくると(要するにお話がらみだと)なんかもういいや、な気分でありますな。