火星の月の下で

日記がわり。

思い出のドラフト漫画

昨日のドラフト会議。
たまたま夕方時間が空いていたのでぼんやりとTVを見ていて、そういや子供の頃に読んだ漫画の中にドラフト会議が描かれ始めたのって『巨人の星』くらいからだったっけなぁ、とぼんやり思ってしまったので、思い出のドラフト風景2題。
ドラフトの施行が昭和40年からなので、それ以降になるが、思い出としての一番最初は『巨人の星』から。
巨人の星
花形、左門がドラフト会議の目玉として注目されていたものの、飛雄馬は決勝戦でのスローボールと花形敬遠、そして敗退が尾を引いて人気低迷。
さらに高校も中退。
ドラフト会議では花形が阪神に、左門が大洋(現・DeNA)に指名される。
ところがドラフト終了後、飛雄馬の爪が割れていたことが報じられ、巨人以外の11球団が星家に押しかけてくる。
だが飛雄馬は唯一押しかけてこなかった巨人に入団、というのかだいたいの流れ。
今日のドラフト制度ではありえないことがふんだんにあって、まず『巨人の星』当時は普通にあった「ドラフト外入団」というものがなくなっていること。
たぶん指名と抽選、情報の公平化を図るためだろうけど、今日では中退者も告知して、希望書を出さなくてはいけない。
さらにドラフト外の入団も認められなくなったので、今日だと比較的近いとすれば「育成枠」くらいかな。
(ケガのことは知らなかったが)決勝戦はなさけなかったけど、素質はありそうだからキープしておく、みたいな感覚で。
この辺は作り手側の事情もあったのだろう、主人公を何が何でも巨人に入れなくてはならない、というのがあったので。
ドラフト会議を通過させてしまうと、巨人入団が運の要素になってしまうし、運で入団したのだったら、重いコンダラ試練の道を、行くが男のド根性、というのとちょっと合わなくなってしまいそうだし。
結果、巨人の入団テストを受けて伴、速水とともに入団、というプロセスを踏むが、これも当時は可能だった手法。
現在では入団テストのようなものを受けても、入団に際しては必ずドラフト会議を経なければならない。
ドラフト会議が時代によってどう移っていったか、というのも、野球マンガの楽しみの一つとしてあるかも知れない。
・男どアホウ甲子園。
さて、ドラフト制度のスキを衝くような『巨人の星』とは違い、まっこうからこれに挑むも玉砕し、まったく別の道を進むことになるのが『男どアホウ甲子園』。
水島新二長編野球漫画の第2作(第1作は『エースの条件』)だが、第1作同様、別人の原作がある。
こっちは『巨人の星』と違い、明和や東城大武蔵、松山南海と繰り広げた甲子園大会、予選の方が抜群に面白かったのだが、その甲子園大会の熱闘を経て、ドラフト会議。
阪神入りを熱望する藤村甲子園だったが、ドラフトで指名したのはヤクルト。
阪神は藤村ではなく隠し球とも言えるスラッガー、神宮響を指名。
ところが藤村とは逆にヤクルト入りを熱望していた神宮も藤村同様激怒。
両者は高卒のまま入団することなく、次の進路を目指す。
こちらは今日のドラフトと比較的近い描写であるが、当時は最初に抽選で順番を決めて希望球団を出していくスタイルで、今日では抽選は順番の方ではなく希望選手がかぶった方。
ここでこの両者はドラフトを拒否して大学への道を歩むのだが、今日では事前調査が行き届いているので、入団拒否というのは昔ほど多くはなくなってしまった。
最近だと日ハム指名→拒否→翌年巨人の菅野くらいだろうけど、あっても2〜3年に一度、くらいの感じ。昔は人気の巨人1位指名でも拒否した1973年の小林投手のような人もいた。
『男どアホウ甲子園』が面白いのはこの後で、大学に進学すると決めたものの、アホの南波高校の、その中でもアホだった藤村が学力で突破できるところはほとんどなかった。(当時は大学数も今より少なかった)
推薦なら行けるところ、とるところもあったろうけど、どうせなら東京六大学の、それも弱小である東京大学に行ってやろう、というものすごい展開に。
一応、藤村の父は東大出のサラリーマンだったのだが、藤村自身は母方の血(正確には母方の祖父の血)を強く継いでいたため勉強なんかはからっきしダメの野球バカ。
せっかく父が予想問題を作ってくれたのにそれすら覚えられない。
そこで南波高校野球部の面々が協力する。
といっても勉強を教え合うとかではなく、一人1教科を集中してやり、本番でブロックサインで藤村に伝える、つまりカンニングである。(笑)
そして晴れて藤村は東大に入学して、慶應に進学していた神宮と戦う、という展開になるのだが、野球漫画の主人公で、一番アホっぽい藤村が一番の高学歴、というのは、なんかいろいろクルものがあるな。(一応中退するけど)
大学編は高校編ほどの人気にはならなかったけど、早稲田に鬼塚幽次郎という、まんま妖怪みたいな投手もいたりして、それなりに面白かったんだけどね。
ちなみに藤村の終生のライバルはこの神宮ではなく、明和の池畑三四郎。彼も早稲田に進学する。
『ちかいの魔球』の頃はまだドラフトがなかったので、思い出としてはこんなところかな。
今では野球漫画でドラフトが描かれるのはごく普通、当たり前になったけど、私個人としては思い出深いのがこの2つだったりする。