火星の月の下で

日記がわり。

同人コミュニケーション

同人作家と知り合いになるコツ 勉強になります。(^_^;
歳も歳なんで、もうそれほど積極的に同人作家さんと強く接点を持ちたいとは思っていないが、好意の表現としてはかなり有効かな、と思う。
今となってはおかしな話だけど、昔は、と言っても2段階あるので、80年代くらいだとFRの募集欄とかかなり有効で、実際、当時のアンソロジーの多くがあれを柱にして生まれていた。
当然こちらもそういうのはわかっていて、あ、あの投稿でつながったんだな、ということがわかる上に、同傾向の人が集まりやすくて、それ以前にあったよろず系同人誌(学漫なんかもある意味これに該当する)と明確な差別化が図られて、作り手と読み手の距離がぐっと近くなったような印象でもあった。
さらに昔、60年代後半から70年代までは、COMおよびその後継、傍流雑誌(少年キングなんかが積極的だった)の交流イベントや復活上映大会なんかの同人イベント*1での交流等々。
しかしこの2つに共通しているのは、作り手と作り手の交流であって、読者と作り手、という関係性はまだ弱かったし、どちらかというと積極的なアプローチはストーカーおよびその手前のことが多かったので、あまり歓迎されていなかったように思う。大阪の即売会によく出没していた「キチ○イくん」なんかその典型だったし。
この記事は、知ってる人にとってはあたりまえのことかも知れないけど、ネットがごく普通の生活インフラになり、さらにそこからtwitterがごく普通に流通している(この表現もちょっとアレだけど)現状を考える上で良い指針になるのではないか。
加えてストーカーにならないように、疑われないように、というマナーなんかもたいせつなんだろうな、と自戒もこめて受け止めておこう。
このストーカー扱いされかねない、というのがイヤで、積極的なアプローチは極力したくない、というのもあったんだけどね。

*1:しばしば誤解されているけど、1975年12月の第一回コミックマーケットはまんが同人誌「オンリー」の即売会として全国最初だったのであって、他のイベントの付随イベントとして同人誌即売会、同人誌交流会なんかはそれ以前からあった。70年代前半の代表として各種復活上映委員会(ただし禁止していたところもあったが)、60年代の代表として各種交流会。