火星の月の下で

日記がわり。

◎おっさんががんばるアニメ≠おっさんが主人公のアニメ

ガノタが言うオッサンを主人公にしたガンダムを現代風にしてみた ワロタ。
人生転落オチこぼれ、蜜柑箱の腐った蜜柑達によるショボくて冴えないガンダム。(笑)
いや、この記事中にも出てくるけど、ロボットアニメでおっさんががんばる姿を見たい、活躍を見たい、というのは、決してリアルな汚れたおっさんが主人公になって展開するアニメってことじゃないと思うぞ。
主人公は少年でも少女でもいいし、初めは素人でもかまわないのだ。
問題はそれをとりまく人達に、まともなおとな、栄光に包まれたイケメンでかっこいいおっさんもいれば、人生転落組のどうしようもないクズオヤジもいる、能力はあるが社会の壁で底辺に沈んでしまったオヤジとか、女にだらしなくて失敗したおっさんとか、あるいは全然能力はないけど舌先三寸で生き残ってきた中間管理職とか、とにかくそういう雑多な、社会の各層を代表するようなおっさんおばさんが主人公たる少年にからみ、影響を与え、社会の縮図を感じさせる、そういうリアルさなんじゃないだろうか。
ちょっと例が偏っているので、これだけだとつまんなさの方が充満しているが、別に社会に敗北したおっさんを主人公にしろ、なんて希望ではないと思うのだ。
ガキだけで悩んでいたり、世界の大事が押しつけられたり、そういうのをカンベンしてくれ、ってことなんじゃないかなぁ。
ガンダムじゃないけど、わしなんかアニメ版『ガングレイヴ』後半のブランドンのような、ああいうのが戦場に投げ込まれる、というようなのを見たい心境なのだがな。
記事中にも名前が挙がっている『ダイガード』・・・これなんかもっとうまくやれば、「渋いおとなの活躍する」いいアニメになっていたのにな、と今でも少し残念に思う。
おとなが熱血をするとやはりどこかで違和感というか、場違い感みたいなのがでてくる。
おっさんが少年みたいな熱血や理想に転ぶときは、それなりにそうとう説得力のある状況がほしいわけだ。
その意味で、『タイバニ』の虎徹とか、『初代無印』のブライトなんかは描写がうまかったよな、なんて思ってしまう。
ブライトをおっさん枠に入れて良いかどうかいささか怪しくはあるが。