火星の月の下で

日記がわり。

○馬鹿というより、時代の洗脳

村上春樹「日本は中韓に謝って、謝って、謝りぬけ。向こうがもういいと言うまで謝れ」楽韓Webさんとこより)
村上氏の発言については「この世代特有のバカさ加減じゃのう」と思いつつ読んでたんだが、楽韓さんがコンパクトにまとめてくれてたので、だいたい同じ気持ちとしてリンクしておきます。
ただ村上氏の発言もかなりよくわかるんだよね、賛同するとかっていう意味ではなく、こういう発言が出てくる時代背景、思想背景みたいなのが。
だいたい同世代というか、私より少し上なんだけど、団塊のすぐあと(1949生まれ)か団塊の最後尾にいた連中で、彼らは子供の頃から政府やお上にたてつくことがかっこいいと思ってた社会思潮の中で育ち、共産革命に幻想を持ち、少なくとも共産党にさほど嫌悪感もなく親和性も強かった世代。
同時に、幼年期においては親の世代に対する反抗がこの共産革命の考えと重なってくる世代でもあり、自分の自我を表明するために、日本が悪い、天皇が悪い、自民党が悪い、そしてそういう巨大なものにたてついている自分がかっこいい、と思ってしまう個人主義が空気として都市部にあった世代なのだ。
今より情報格差は大きかったので、田舎にはその空気が希薄だったので第二次性徴の発現手段としては別の方向にいったのだけど、都市部には濃厚にその思潮がまるで空気のごとく流れていたのだ。
私は以前も書いたけど、幻想文学での闘争によりこの連中と戦わざるをえなかったため、時代の洗脳はあったけど、その洗脳そのものが暴力的な敵として立ちふさがってきたのでこの思潮には心底嫌悪感があった。
だから同時代人として、青春時代に刻印される社会思潮としての彼らの「政府が悪い、自民党が悪い、日本が悪い」という意識がなにかのはずみでポンと出てくるその過程には割と納得してしまうのだ。またあの亡霊が出てきた、みたいな感覚でね。
今のご時世だと想像すらできないだろうけど、中学、高校時代に、ZでもBでもない普通の一般家庭の日本少年、日本少女が、「自民党が悪い、天皇制が問題だ、共産党にしか正義がない」なんて盲信していた連中が至る所にゴロゴロいたし、そういった積極的な政治活動にいかない連中でも、フォークゲリラみたいなことになってヒッピーやったりカウンター・ソングを歌ったりしていた。
それこそ至る所にいたのだ。
作家とか、フォークとか、漫画家とか、その最先端にいたクリエイター連中なら根本にそういうものを抱いていることがけっこうある。(もちろん例外もいて、幻文やSFの同士なんかにはそれらに抗していた連中もけっこう知っているけど)
社会の中から素材を拾って来るとき、その優れたセンスと冷徹な分析眼により、時代の空気をうまく消化し、かつ深いところまで到達したものを創造していく、そういう手法には長けているモノの、根本のところにある自我意識みたいなものが、今回の発言のようなときにチラッと出てきたりする。
だからまぁそんなに驚きはないんだけど、やっぱり陰鬱な気分になるな。
結局、時代を分析はしていたけど、その呪縛からは逃れていないんだ、ということで。