火星の月の下で

日記がわり。

ついった自分まとめ~2016年は沙翁没後400年

2016/08/28のついった、より、自分のカキコまとめ。

・2016年も半分以上すぎてから、今年がシェイクスピア没後400年だったことを知る。なんで忘れてたかな・・・。

シェイクスピアの生没年ってのは「ヒトゴロシ_イロイロ」(1564-1616)って語呂になってて、すごく覚えやすいのに・・・。

・子どもの頃は、緊迫感あふれる『マクベス』や、幽霊劇的性格のある『ハムレット』なんかが好きだったけど、最近は『リア王』や『リチャード三世』なんかが好き。『マクベス』は『リア王』とともに今でも好きな戯曲ベスト10には入ってくるけど。

・あと、シェイクスピアの翻訳劇について。なんといってもシュレーゲルとティークによってなされた19世紀初頭の独訳がまず思い浮かぶ。

・シュレーゲルがシェイクスピア劇の独訳に取り組んだのは、当時の独訳が目に余るものだったから、と伝えられている。ちなみに、1776年ハンブルグで上演された『ハムレット』などは、ハムレットは死なずに父王の仇を討って王座につく、というエンディングに改作されていたらしい。

 ・ただしアウグスト・シュレーゲルは、当時シェイクスピアの真作と信じられていた36曲のうち、17曲の独訳に留まった。そのあとを継いだのが「浪漫派の王」ティーク。
ティークやヴァッケンローダー、シュレーゲル兄弟とともに初期ドイツ・ロマン派を牽引したティークがその後半生、シェイクスピアの独訳に尽力したのはよく知られている。
・1817年、イングランドを訪問したティークは帰国後ドレスデンの宮廷劇場顧問としてシェイクスピア劇の演出にあたる。
・そして1843年、ベルリンであの『夏の夜の夢』を演出、上演する。音楽はもちろんメンデルスゾーン。上演は大成功を収め、音楽と演劇の融合として、単に音楽の側からだけではなく、演劇史の上でも特筆すべきこととなった。
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以上。一部、誤字修正。
ついったの記事は発掘できなくなってしまうこともあるので、自分用のものは残しておけたらいいな。