火星の月の下で

日記がわり。

○1974W杯BRD大会

ヒストリー・チャンネルで、1974年に開催された第10回ワールドカップBRD大会を視聴。
言わずと知れた皇帝ベッケンバウアー(独)と魔術師クライフ(蘭)が決勝を争ったあの伝説の大会である。
Jリーグ誕生以前、サッカーはまだ野球人気に遠く及ばず、ラグビー、女子バレーボールと同程度の人気で、とても今日の隆盛には届いていなかった時代だが、それでもワールドカップの中継はU局の深夜に細々とやっていた。
当時まだ学生だったのと、テレビ録画機はまだ持っていなかったこともあって、深夜に眠い目をこすりながら見ていたのを思い出す。
今ほどサッカー人気もなく、私自身も一番好きな観戦スポーツは一にラグビー、二にプロ野球、と言った感じだったので、それほど多くの情報を持っていたわけではない視聴だったのだが、それでも当時既に円熟の域にあった皇帝ベッケンバウアーの名前と、当時のサッカー界に革命をもたらしたとまで言われていた蘭の「トータルフットボール」、その中心にいたクライフの名前くらいは知っていた。
当時の受像器が画質が荒かったので選手の顔までは覚えていなかったのだが、今見るとヨハン・クライフってすごく男前というかイケメンだったんだね。
それと時代からか、長髪選手の髪がロックミュージシャンの長髪みたいで、この辺今のファッションを見慣れているとけっこうな違和感。(^_^;
番組は最初にドイツ優勝の夜に始まり、一次リーグ、二次リーグへと進み決勝戦、という流れ。
この大会では蘭・独二強に加えて、伊・伯という強豪にもスポットがあたっていたけど、当時の感覚だと蘭独二強が頭抜けすぎていて、他はこの二強の引き立て役のような印象さえあった。
しかし一時リーグでBRD(俗称:西ドイツ)はDDR(俗称:東ドイツ)に負けてるし、オランダも一次でスウェーデンと引き分け、二次で勝ったとは言えアルゼンチン、ブラジル、との死闘で決して決勝まで平坦な道でなかったことが描かれていた。
一次リーグ、二次リーグは中継してくれていない試合もあったし見てなかった試合もあったので、その辺は新しい気持ちで見られた。
勝戦
あまりにもヨハン・クライフの印象が強かったけど、実質的な点取り屋はニースケンスだったこと、ドイツも皇帝は攻撃的DF(この頃はまだリベロシステムという名は日本では言われてなかったように思う)だったこともあり、得点するのは爆撃機ミュラーとフォクツの二人で、クライフとベッケンバウアーが真正面からぶつかった、という感じではなかった。
ただそれでもクライフの動きは部分的にいくつか憶えていて、ああそうだそうだった、な感覚が楽しめた。
ということで、かなり懐かしい、そして幾分新鮮でもあった第10回のワールドカップ映像でありました。