火星の月の下で

日記がわり。

運動会

「運動会はなんのため?だれのため? 記事に、「読んでイライラする記事は久しぶりだ ダメ評論家の典型」「良い記事だと思う 個人的には保護者の見せ物や教員の自己満足のためのような気がする要素があるのは否定しない」など賛否ツイート」(togetter:1361644)
タイトル長いけど、ついったの記事の方がいろんな意見がでてたので、こちらを。
個別問題としてではなく全体として考えると、安全問題とかいろいろ考えるべきことはあるんだろうけど、体育が苦手だった者としては、運動会とか体育祭とかの日ってのが憂鬱の一語で、あんなものやめてほしかった。
体育の授業にしても運動会にしても、基本的にそれが得意だった教諭がやってるので、うまくできない、体力がない、という生徒の気持ちなんか理解できないし、そもそもそういう生徒が存在していることさえ信じない。「やればきっとできる」なんてきれい事(そしてそれがどんなに苦痛を伴うものなのか)をサラッと言ってのける。
運動会は地獄のようなイベント、そして体育教諭なんかはその地獄の獄卒、鬼に見えたし。
従って、個別の問題として考えるなら、義務教育の必須教科からはずして選択科目にほしい、運動会、体育祭は希望者のみのイベントにしてほしい、というのが一番にあった。
得意な人は、楽しい人はやればいいさ。
でもあれが地獄の業火に等しかった人間だっているんだ。
義務教育時代、いろいろいやなことは数多くあったけど、一番いやだったのがこの体育がらみ。
この老齢になっても未だにトラウマのごとく心の中にこびりついていて、不快な思い出として残っている。