火星の月の下で

日記がわり。

教員志望者激減

「教員採用試験の志願者激減!文科省の無策により、人手不足による教育の崩壊近づく。」(togetter:1368900)
実家が教員一家だったので、教諭の問題点とか、私生活への圧迫とかは、それこそものごころついたころから間近に体験していたが、確かに重労働なんだよな。
半面、「先生」「先生」と言われるので、そのあたりの満足感というと少し変だが、ある程度補える充足感、優越感みたいなものもあったようである。
そういった精神面での補填が重労働を支えていた一面でもあったような感覚だった。
しかし現在の学校教員は、私立の特殊な例を除いて、社会の中でそういった「先生」気分が減少して来ている、むしろ体制側の人間として下層の攻撃目標になってしまったりで(いや、昔も底辺校だとあったけどさ)プラスがどんどん削られて行ってるのに、重労働は依然として変わらず(むしろ増えている?)という状況になってきていること、SNSの広がりによってそういった現実がごく普通に共有されるようになってきていること、こういったことから志願者が激減していく、というのは必然の道だったのかもしれない。
学校が、特に義務教育を担う公立の小中が、勉強を教えるところではなく生活を指導するところ、みたいな感覚になってしまっているのも大きいかな。
もちろん「勉強を教える」というタテマエもしっかりと残ってはいるんだけど、塾や予備校の指導技術が洗練されていく中、もう小学校の教諭では激務の中でその技術を磨いていくのが困難になっている、という現状もある。
その結果、児童たちも先生をバカにしだす、という悪循環で、物理的にも、肉体的にも、そしておそらく最後のよりどころであったであろう精神的にも削り取られていくブラック化。
そりゃ大学卒業を控えて「教育に燃えている」学生たちは、公立の小中なんかには応募しないよな。