火星の月の下で

日記がわり。

セクハラ危険思想

「「どこからがセクハラ」「付き合うってどういうこと?」中学生が感じる疑問 正しい性教育の知識を学ぶ」
(ps://news.yahoo.co.jp/articles/a5c6f6548041b7f2434d6a211d45b1c6a0933688)

「どこからがセクハラですか」の問いには「受ける側が嫌だと思ったらそれはセクハラ。性では『イヤダ』と言う人の意見を尊重することがルール」と答えた。

うわ...、すごいこと言ってんな。
「受ける側が嫌だと思ったらセクハラ」
これって、主観で決められるってことで、相手をハメるも自由自在ってことか。

講演の場所が久米島という離島だったので、そういう閉じた社会の中ならばあるいは有効なこともあるだろうけど、一般論として、人の罪を主観で判断したらいかんだろ。
もしこれが通るなら、「Aという行為をBにされたら有罪」→「Aという行為をCにされても有罪」くらいに用例を固定していかないと、法の下の平等が成立しない。
キモいおっさんに「好きです」と言われて告白ハラスメントにするなら、その女性に対して地球上すべての男性に対してもそれがハラスメントとして成立することを法的に確定させる、くらいのことを、一人ずつやっていかないと、法の下の平等から外れてしまう。
この外地(横浜)からやってきた人間に、そういう主観で決定されてしまうことを言われて、しかもそれが正しいように報道されるのは、いかがなものであろうか。