火星の月の下で

日記がわり。

きりとばらとほしと

BLOOD+の第4話を見ていて、妙な既視感に襲われてしまった。
主人公小夜が、吸血鬼に覚醒するある引き金の役割りとして、ハジなる美形の青年が登場するのだが、それがこのとき「従う者だ」というのである。
美少女吸血鬼と美形の青年従者、と言えば、これはもう吸血姫美夕の世界だろう。
OVA版、テレビ版、インテグラル版(・・・と一応分けたけど、実際はテレビ版とほぼ同じ)とあるけど、美夕とラヴァの主従構図はほぼ同じ。もっとも、私が連想したのはOVAの方だったけど。
まぁ、似ているのはその構図だけで、生成してきたプロセスも、舞台も、大まかな筋も全然違うので、盗用だのパクリだのと言うつもりもなければ思ってもいない。
ただ、美少女吸血鬼に、それより少し年上に見える、長身で美形の寡黙な青年を従者につける、というスタイルが確立されていきつつあるのかなぁ、という感慨が、この既視感とともにあったのである。
文学作品に見る吸血鬼については、以前に少しだけ触れたので、今回はマンガについて。
といっても、日記のような個人ブログなんで、あるテーマを決めるわけでも、全部を網羅するわけでもなく、思いついた点について少し揚げるだけですが。(^_^;
吸血鬼マンガの名作といえば、多々あるだろうけど、『ポーの一族』をほぼ決定打にしてもいいと思う。個人的な主観だけど。
吸血鬼もののマンガを扱うときにはたいてい出てくるし、何か別の作品に重きを置くときでも、この作品を抜きに語ることはできないだろう。
その点については、私もまったく同感なんだけど、『ポーの一族』以外を取り上げるとき、とたんにその論者の個性が出てくるようで、面白かったりするわけですな。
まぁ、私は論者っていうほどでもないし、今回も単に挙げてみて、ひとくさり感想だを述べるつもりにすぎないのだけど、この『ポーの一族』以前にあった吸血鬼ものとして、石森の『きりとばらとほしと』について少し述べてみたいと思う。
けっこういろいろな選集に入っているようだけど、私が所有しているのは、昭和42年発行の朝日ソノラマ・SunComics版「龍神沼」所載のものである。
調べたわけじゃないけど、たぶんもう絶版でしょうなぁ。
作品自体は、昭和37年・少女クラブ掲載のもので、第1部「きり」(1903年7月オーストリア)、第2部ばら(1962年8月日本、つまり掲載時点での現在)、第3部ほし(2008年9月アメリカ)の3部構成をとっている作品である。
一読すれば明らかなように、第1部はレ・ファニュの『カーミラ』からほとんど筋を引っ張ってきたもので(結末は変えてるが)その種を日本、アメリカと時代と場所を変え、最後は火星からきた伝染病で、新人類の誕生とそれによる悲劇で幕を閉じるプロットになっている。
少女マンガ時代の石森に特有の、適度なリリシズムと凝集力をもった作品で、アイデアとしては他作品からのものも多い上に、伝染病の正体を「ビールス(細菌)」としている点など、稚拙なところや創意という点で問題のある点もないではないが、それを補ってあまりある物語の薫香のようなものがあった。
実は石森は、009以外は少女マンガの人ではなかったか、と今でも思っているのだけど(本人は少女ものを描き続けるのがかなり苦しかったようなことを残してるけど)この作品は、元ネタがわかっていても、けっこう感動するつくりに仕上がっている。
当時、まだ母子ものが主流で、恋愛ものさえ少数だった少女マンガの時代に、吸血鬼ものを描き、しかもSF仕立てで落としている、というのはすごく斬新ではあった。
もっとも、当時は少女雑誌にも男性の描き手は多くて、そういった男性作家は、ある程度斬新なことをやってはいたんだけどね。
たぶんこれ以前にも吸血鬼もののマンガはさがせばあるとは思うけど、暴力装置的な、鮮血ドバドバ、死体がゴロゴロといったようなえぐい(というか汚い)描写ではなく、女性読者でも十分に読み込めるような内容に仕上げた、という点で、良作だと思う。そんな意味で、吸血鬼マンガの嚆矢としたい、っていう気持ちはかなりあったりするわけだ。
なんか全然まとまらなくなったけど、吸血鬼マンガに興味があれば、まず必読である、くらいは言ってもいいかな、とは思う。