火星の月の下で

日記がわり。

▽単棲時代

上に関連して、単棲時代。75年頃の曲で、ビタミンAからビタミンZまで、バランスとりとり食べてます、故郷のママの言うとおり、よく噛み噛み噛み食べてます・・・なのにどうして胸が苦しいの
・・・みたいな歌詞。(ウロおぼえなので、少し違っているとは思うけど)
ちょっとマザコンっぽい調子で歌われる曲で、当時大学生だった私はこの曲を聞いて、ああ、たぶんこうなるんだろうなぁ、と直感してしまいました。(笑)
レコードを買うでもなく、深夜放送のラジオから流れてくるこのゆるやかに哀切を帯びた曲に、妙に心惹かれてしまうものがあった。
そのちょっと前に『同棲時代』ってのが映画に漫画にフォークにと流行してて、そのパロディっぽい感じがしてたんだが、どっちかっていうと、この『単棲時代』の方に時代の真実がある、と感じていた次第。
長いあいだ歌手を失念していたんだけど、調べてみると、矢板勉、という人だったらしい。
当時既に、同棲時代にはとんでもない嘘くささがあって、若い男女が好きあってて、世間の価値観からはずれて、ひっそり力強く生きていく、なんてのは、学生運動の残り火がくすぶっていた頃には、理想に敗れた若者の「帰るべき場所」としての夢想がつめこまれていたような感覚だったけど、そのつがいの相手としての若い女、っていうのが、とんでもなく嘘くさかったわけだ。
女は体制側の生き物である。少なくともこの日本では。
それゆえ社会や既存秩序と戦う理想をもった青年が(いや、漫画はそんな高貴なものでもなかったけど、底に流れているもの、としてね)女とひっそりいたしている、っていうのに、現実とは違うものを感じていた。当時流行った『神田川』なんかも、メロディはよかったものの、そこにある同棲描写には、現実のようで現実でない、恋愛階級主義みたいな臭いがプンプンあふれてて、不快だった。
ところがこの『単棲時代』は、情緒面では、恋愛階級闘争の敗北者のふりをしていながら、実はもっとも真実に近いところにいたように思えたのだ。
現実世界での恋愛や性交が、ほとんど奴隷労働に近い、ということがわかってしまった現代、マザコンっぽい仮面をかぶっていたとはいえ、結局真実はこっちにあったのだ、という気がしてしまう。
はっきりいうと、結婚なんかしたり、家庭をもったりするヤツこそが、魂の負け組なんだよ。