火星の月の下で

日記がわり。

吸血鬼と現代文明

Black Blood Brothers、もういい加減吸血鬼+現代文明ものは食傷気味だったので、キッズで録画はしてたけど、しばらく見てなかった。
それで3話たまったので、見てみたわけなんだが、倉田さんが大活躍、なんですね。
うかつでした。キャラデの方ばっかし見てて、「総監督・倉田綾子」の方を見落としてました。
第1話・作画監督、原画、第2話・作画監督、原画、第3話・絵コンテと獅子奮迅の活躍ぶり。
昨年の名作『陰陽大戦記』を彷彿とさせる活躍ぶりで、倉田さんの存在を認識していなかった自分の不明を恥じるばかりで、アニメ作品としては楽しんでいます。
さて、アニメとしての感想は、アニメブログの方にでも書くとして、現在もうげっぷが出るほど出回っている吸血鬼ものについて少し。
アニメ作品を主として見ているので、どうしてもアニメ作品からの印象によるところが大きいのですが、ここ1〜2年のアニメ作品からざっとあげてみても、トリニティブラッド月詠ヘルシングBLOOD+、かりん、まじぽか(これは主役じゃないけど)・・・、パッと思いつくだけでもこれくらいある。
これを3年、5年と溯ると、それこそ整理できないくらい上がってくるだろうし、マンガにまで視野を広げたら、現行作品だけでもかなりの数になると思う。
幻文屋として、まぁ、中にはそこそこ見られるものもないわけではないし、月詠まじぽかみたいに、方向性がそっちにはまったくない作品もあるので、一概に吸血鬼を扱ってる作品が、イコール凡庸な作品、とは決め付けられないが、素材として見た場合、どうしても受け入れにくい要素があるので、それについて少しだけ記録しておく。
それは吸血鬼の登場が、現代、もしくは現代文明類似の世界に登場してくる、ということ、及びそのことによる違和感のようなものである。
吸血鬼の文明世界への誕生は、共同の宗教観を有する文明世界と、異教世界との接点で起こったことで、そこには当然信仰と背教の問題があった。
「血を吸う」という行為は、聖体としての肉体の存在が背景にあったわけで、それは物理的な意味での「血液」というニュアンスからは少しはずれていたわけだ。つまり、血を吸う、という行為の背景に、神から授かった肉体に対する冒涜、そしてその肉体が神の元へ帰らないという恐怖、そういった信仰的背景(むしろ背教敵背景か?)が内在していた。当然、疫学的知識が行き渡る前の話である。
ところが、これをそのまま実際の「吸血」現象として現代文明にもってきてしまうと、とたんに疫学の知識からリアリティを喪失してしまうのだ。
血液を媒介にした疾病、性病等、そういう知識から、吸血行為者に対して、性病患者を見るような、言い知れぬ不浄観をもってしまう。
現代世界に舞台を移した吸血鬼モノ、という場合には、それが受け入れられない異邦人としての性格を付与するための方便として語られていることがよくあるが、同時にそれによって、アウトローたることのクールさも期待しているフシがある。
だが、この血液の疫学知識によって、現代世界を舞台にするとき、吸血鬼とは性病患者と同意語になってしまうのだ。
これが私が受け入れにくい、もしくは共感しかねる部分である。
これに対して、さまざまな工夫を試みているものもあって(上掲の萌え系にシフトしてしまったものは除いて)、例えば、時代を現代ではない遠い異世界に、あるいは血を吸うのではなく、精を喰らい、被害者は伝統的吸血鬼に襲われた場合と同様の変化をする等。
ある程度、こういったヒネリが効いているのならまだしも、昨今の吸血鬼は、その「通常と違う」という属性と、非凡な戦闘能力を誇示するために提供された属性のような気がして、大いなる食傷感が起こってしまうわけ。
まぁ、アニメを見てて、現代吸血鬼が梅毒患者に見えてしまうのは、たぶんわしぐらいなもんだろうから、感想というより、妄言として記録しておく。
それにしても、超能力を持ったアウトロー、っていうのも、時代によっていろいろと変わるものですなぁ。
異星人だった時代、ミュータントだった時代、ヒューマノイドだった時代、異世界人だった時代、そして現代は吸血鬼、という時代なのかな。