火星の月の下で

日記がわり。

代表作という表現について、ちょっとだけ思ったこと

○○先生の代表作、という投票というか某巨大BBSカキコなんかでときどき見るんだけど、もう引退してしまってたり、故人になってる人の作品で、ときどき考えさせられてしまうことがあるので、ちょっとばかしメモ程度に。
手塚治虫作品の代表作、っていうときに、たいていブラックジャックが票を集めるんだけど、これについて手塚が亡くなってから妙に違和感を覚えるようになった。
ブラックジャックが代表作?」という、自分の感覚と相容れないところもあるんだけど、それよりも、「BJしかないだろ」式の意見が時折見られることだ。
誤解のないよう付記しておくが、ブラックジャックが名作である、ということには異論はない。
そのことに違和感を感じているのではなくて、投票等に参加している人が、どうもブラックジャックしか読んだことがないよう感じてしまうことなのだ。
もちろん故人なので、新規作品はもう出てこないし、いかに幾多の革新を漫画表現に持ち込んだ大手塚であろうとも、既に現代的な作品は物理的に生み出せない。
加えて、絵の技術は格段に進歩し、作画する側のシステムやメカニズムも企業化してきているので、晩年の手塚の絵でさえ、既に時代遅れの感は幾分あった。もっとも、そのことは手塚自身が気づいていて、なんとかしようともがいていた、っていうのがまたすごかったりするんだけど、それはひとまず置いといて、ここでは、あの大手塚の業績、その前半のすごさをまったく見ずして「ブラックジャックしかないだろ」みたいな発言をしてしまう心理、恐さである。
晩年、というのとはちょっと違うけど、現時点から見て比較的最近の作品になるブラックジャック、そして今でもリメイクが続いている作品としてのブラックジャック。つまり今の視点でしか目に入ってこない作品、として。
主観を極力交えないように努力してみて(とは言っても限界はあるけど)手塚の代表作、って考えると、『メトロポリス』『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『火の鳥』あたりに落ち着くんじゃないかなぁ、とか考えている。
ところが、こういった名作群でさえ「名前は知ってるけど読んだことがない」「あまりに昔の絵なんで見るのが苦痛だ」とか言う意見が出てくる。
さもありなん、ブラックジャックしか知らないような若い人は、鉄腕アトムを読んだことはなくても、アトムがアニメ化に際して手塚が制作費をとても安く設定したとか、そのことでアニメの低賃金が定着したとか、そんな情報はしっかり持ってたりするのだ。
そういう若い連中が、昔の人の代表作を選べ、って言ったって、最近のものになってしまうのは仕方ないように思うんだけど、ある程度同時代を生きてきた人間としては、ちょっと寂しいなぁ、と思ってしまうわけなのよ。
もちろん、手塚ほど活躍の時期が長かった人であれば、少年時代に猛烈に感動した作品でも時代差が出てきてしまうのは仕方がないのだが、どうもそういう面への興味というか、好奇心が欠落してしまっているように見える。
私の場合だと、好きな手塚作品は?・・・と言われれば、『火の鳥鳳凰編』『W3』『バンパイヤ』『どろろ』といった具合に、ある時代を表してしまっているわけだけど、それでも昔の絵柄ではあったけど『来るべき世界』とか『少女クラブ版・リボンの騎士』とかは読んだときは普通にすごい、と感じてしまったのだ。もちろんその際、同時代の他作家の作品も併読してみるわけだけど。
従って、代表作は?と聞かれれば、少年時代の体験ではないけれど、『メトロポリス』は入れにゃあならんよなぁ、とか思ってしまうのだけど・・・。
同様のことは、横山光輝作品や、石森章太郎作品についても少しあって、特に横山作品は、代表作というと、ほとんど水滸伝以降の中国史ものになってしまうようで、これなんか横山作品が好きな身としては、少し悲しくなってしまったりすることもある。
『伊賀影』は?『レッドシャーク』は?『V7』は?『おてんば天使』は?『闇の土鬼』は?そしてなにより『鉄人』は?・・・とかの想いがとても強く出てしまう。まぁ、それも少年期の体験、ってことになるのかもしれないが。
感想ブログなんで、あんまりまとめらしいまとめにはならないけど、そういう、もう新作を発表することのできない人の人気投票なんかをするときには、ほんの少しだけでいいから、時代的な意義も汲み取ってほしいなぁ、とささやかながら思った次第。