火星の月の下で

日記がわり。

●表現主義映画

1920年の『カリガリ博士』を軸にして、第1次大戦後のドイツを主として熱狂的にむかえられた表現主義映画。
そのあたり、記憶がボケてきつつあるので、簡単にメモ。
といっても、表現主義映画のすべてが面白かったわけではもちろんなく、心理の襞にわけいっているものとか、心理状況が美術の上に反映しているものとか(たとえば『朝から夜中まで』)、だいたい狂気を扱っているものにその傾向が強い。
以下、余裕があれば個別にまた書いていきたいと思っているが、印象に残っているものを見た頃の日記とかメモとかをメインに羅列しておく。
大半が東京在住時代のフィルムセンターで見たものだが、ゲーテドイツ映画祭や、現地で見たものもけっこうあって、邦訳題名が微妙にズレてるときもあるけど、面倒なんでもう訂正しない。
わかる限り原題も書いておく。
・『珍鳥』Der fremde Vogel(1911)無声、モノクロ。
第1次大戦前、いち早く映画産業に乗り出してきたデンマークの人材を得て作られた作品。
Vampもの、というか、今日では普通の恋愛悲劇に見えるけど、妖艶なファム・ファタールの萌芽は既にあった。互いに婚約者のいる高貴な男女が、逃走し、溺死する話。
・『プラークの大学生』Der Student von Prag(1913)無声、モノクロ。
すべてがここから始まった、といっても過言ではない、エーヴェルス原作による、ドッペルゲンガーもの。
プラーク一の大学生剣士バルドウィンは美貌の伯爵令嬢に恋をするが、貧しい身の上ゆえにままならない。そこへ現れた魔術師のような老人スカピネッリの提案を受け入れ、巨万の富へ得るかわりに、鏡に映る自分の姿を提供してしまう。資金を得て令嬢の婚約者をだしぬき、恋が成就するかに見えたとき、奪われた鏡像がドッペルゲンガーとして現れ、その婚約者を殺してしまう。そしてバルドウィン自身もその自分の鏡像と対決するようになる。
サイレント時代の作品ゆえ、動作が大きく、今見ればラストのオチなんかも、恐怖よりも笑いを誘ってしまうかもしれないが、「この部屋にあるものをなんでももっていっていい」といわれたスカピネッリが、鏡の中からバルドウィンの映像を奪っていくところとか、現れた鏡像がかけていくシーンとか、夜の廃墟とか、20年代の先取りは随所に見られる。また、冒頭の学生組合の決闘シーンなんかも今となっては資料性すらあるのかも知れない。
その後2度にわたってリメイクされているようだが、第3作目のトーキーは見ていない。第3作目は駄作だったらしい。
・『巨人ゴーレム』Der Golem(1915)無声、モノクロ。
ガレーン監督のサスペンスもの。ただし、舞台は現代ドイツ(製作当時)で、土中より発見されたゴーレムの土偶が、護符を与えられてよみがえり、令嬢に恋をするが、はねつけられて滅びるまでの物語。
当時としては、かなりのスペクタクルものだったのだろう。素材としての、「生きた人形」「邪恋を抱く人造物」という冷たいものはけっこううまく漂っている。
・『カリガリ博士』Das Kabinett des Dr.Caligari(1920)無声、モノクロ。表現主義映画の最高傑作にして、怪奇映画、異常心理映画の嚆矢ともなった名作。
狂気幻想でした、という枠構造、指令のままに殺人を続ける眠り男、見世物小屋を舞台に繰り広げられる惨劇等、プロットも秀逸なんだが、それ以上に全体にちりばめられた、異常にカリカチュアライズされた舞台設定、器具の数々が奇抜ですばらしい。
異様に足の長い椅子の上で作業する書記官、ぼんやりと浮かび上がる道路、ゆがんだ町並み、徹頭徹尾、異質な美術感覚で貫かれており、ラストのオチを待つまでもなく、自身の感覚が狂気に浸されていくのがわかる秀逸なセット。
一応LDで持っているんだけど、米国公開版をベースにしているので、字幕が英語なのがすこぶる残念。
・『寵姫ズムルン』Sumurun(1920)無声、モノクロ。
表現主義というには微妙だけど、この頃作られた一連のエキゾチックものとしては、かなりよくできた方だと思う。ルビッチュ監督、ポーラ・ネグリ主演。
これ以外の当時のエキゾチシズムものとして、『呪いの眼』(1918)、『蜘蛛』(1919〜)、『ハラキリ』(1919)等。
・『巨人ゴーレム』DER GOLEM, WIE ER IN DIE WELT KAM(1920)無声、モノクロ。
一般に無声映画の『巨人ゴーレム』というとこの第2作をさす。ヴェーゲナー、ベーゼ共同監督作品。
舞台は16世紀プラークユダヤ人ラビが土くれから人間を作り出し、それが暴れるまで、今でも十分見れる傑作。
ベータのビデオで持ってたんだが、数度の引越しのときになくしてしまった。残念
・『夜のプロムナード』Gang in die Nacht(1921)無声、モノクロ。
この頃になるとモノクロという制限下ではあるが、技術がそこそこ整ってきて、映像としてもかなり見られるものになってくる。
白黒色彩ということをむしろメリットにしたようなコントラスト等、映像表現は着実に進歩している。
お話は、ファムファタールものに見えて、実際は恋に殉じる姿が描かれていて、お話としてはそれほどでもない。
・『フォーゲレート城』Schloss Vogelöd(1921)無声、モノクロ。
ノスフェラトゥ』へと続く、ムルナウ監督の傑作。
ただし原作が大衆小説だったということもあって、その悲劇性のわりに重みにはいささかかけるものの、けっこうよくできている。フォーゲレートの城を舞台にした、陰謀と死の愛憎劇。
・『破片』Scherben(1921)無声、モノクロ。
表現主義が室内劇へと行こうとしていく過程で生まれた、緊張感のある無言芝居。
鉄道線路わきの小さな家でくらす夫婦と娘、3人家族の下に、鉄道保安官がやってきて、娘を誘惑し、殺人に終る悲劇。題名の「ガラスの破片」が実に効果的に使われている。字幕は最後の1枚だけ、という徹底ぶり。
・『死滅の谷』Der müde Tod Ein deutsches Volkslied(1921)無声、モノクロ。
フリッツ・ラング出世作。狂気よりも暗いパトスの方が優先されているきらいがあるが、私はラングはこういう感情的にわかりやすい、逆に言うとモダンな手法を、この表現主義の中から確立していったと思う。
表現主義は、一方で新ロマン主義に流れ、また一方で共産主義プロパガンダ文学へとも派生していったが、映像至上主義といった方へも多大なる貢献をしていたのである。
・『裏階段』Hitertreppe(1921)無声、モノクロ。
『破片』の脚本家カール・マイヤーによる室内悲劇。さらに心理描写に拍車がかかっている。登場人物は3人だけ。そしてヒロインは1910年代、ドイツ映画黎明期の花形だったヘニー・ポルテン。
・『ノスフェラトゥ』Nosferatu(1922)無声、モノクロ。
ムルナウ監督によるサイレント時代の吸血鬼映画の傑作。
ただし、ときどき言われるように、吸血鬼もの、ドラキュラものの第1作というわけではない。その後、ブラム・ストーカーの遺族との間で、著作権がらみでいろいろもめたことでも知られている。たぶん、表現主義時代の映画としては、今日『カリガリ博士』とともに、もっともよく知られた作品だろうと思う。
手法的には、古典的男性吸血鬼像の映像的素材を決定してしまったかのようなモティーフ(もちろん、ストーカーの原作にもあるのだが)が明瞭に刻み込まれている。ただ、サイレント時代特有の大きな身振りや、今日から比較するとかなり未熟な特撮がときに笑いになってしまうかもしれない、というのがいささか残念ではある。今日でもソフトで見れる数少ない当時の作品なので、古典映画に多少なりとも興味があれば必見だろう。
・『ドクトル・マブゼ』DR.MABUSE(1922)無声、モノクロ。
ラング監督のサイレント時代の傑作。私的には後年ヒットすることになった『メトロポリス』などよりこちらの方がはるかに好き。ただし、第1部、第2部、通してみると4時間を越える長尺なので、なかなか見る機会が少ないのもたしか。
日本ではドクトル・マンボウがこの名前をもじって使っていたので誤解しているむきもあるかもしれないが、狂気の犯罪秘密結社ものである。
・『ファントム』Phantom(1922)無声、モノクロ。
残念なことに見ていない。
都市文書官と詩人の愛の幻想の物語・・・といわれているので、見てみたいのだが、ハッピーエンドらしいので、表現主義としてはぬるいかもしれない。
・『朝から夜中まで』Von Morgen bis Mitternacht(1922)無声、モノクロ。
ご存知カイザーの名作戯曲の映画化なのだが、本国では検閲が通っただけで、商業公開がされた痕跡がなく、どうも商業公開していたのは日本だけらしい。
そのせいか、表現主義映画関連の英米仏文献ではほとんどこの名を見ることがなく、無視されている、というより知られていない状況だが、この特異な美術、セット、照明の方向等、まさに盛期表現主義映画の傑作と言ってよく、映像表現としては、『カリガリ博士』、『ドクトル・マブゼ』、『最後の人』に次ぐ秀作だと思う。少なくとも個人的には『ノスフェラトゥ』や『プラークの大学生』より上だと思っている。
物語は女の色香に眼がくらんだ公金横領の銀行マンの逃避行とその末路、なのだが、銀行の扉、テーブルの様子、逃げていく途中の道、競輪場での丸い輪の描写、そして最後の「Ecce Homo」に至るまで、ぞくぞくする展開で、東京在住時、フィルムセンターで上映があるともう毎日のように通っていた。
なお、タイトルだが、「Von morgens bis mittelnachts」としているものもある。原作戯曲の方の原題はVon morgens bis mittelnachtsである。
・『戦く影』Schatten(1923)無声、モノクロ。
恋愛ゲームを楽しむ伯爵家の夫妻とそこに集う騎士たちの中に現れた、魔術師めいた影絵芝居師によるメスメリスムの物語。幻覚とも芝居ともつかぬ境目の中で予言的に語られる影絵芝居。
このあたりから後期表現主義と言ってよく、人間の心の内奥を覗く独特の美術感覚が成熟してく。
・・・ちょっと疲れた。さすがに網羅はできないので、ここらあたりで。
リーフェンシュタールの『青の光』、ヤニングスの『最後の人』、『メトロポリス』『ヴァリエテ』、『美と力への道』、『黒鯨亭』等々、たくさんあるのだが・・・。