火星の月の下で

日記がわり。

○カムイ外伝エピソードの位置づけ

今日からロードショーなった映画『カムイ外伝』だが、見ていません。
従って、映画を見ての感想ではなく、設定について思ったことを少し。
映画の解説記事を読む限り、アニメ版後半で使われたスガルとサヤカのエピソードにするみたいだ。
この手の映画化作品は、恋愛ものをからませないと成立しない、みたいなところもあるので、あのあたり、つまり唯一カムイに色恋沙汰がからんできそうな箇所をピックアップして、というのは仕方がないんだろう。
そういうのをむしろオミットしてくれてたらもっと興味がわいたのかもしれんが、映画は動員数あってのものだし、そういうことをすればそっちの方が期待できないので、残念だがあきらめるしかない。
どの版だったか失念してしまったが、原作者白土三平氏が「本編『カムイ伝』の連載中、経済的に助けられた作品」みたいなことを書いてるものがあって(小学館の文庫版だったような気がするんだが)この発言の中に、本作の本質がうまくでていたんじゃなかろうか。
つまり、社会差別、階級差別とその戦い、といった『カムイ伝』が本来もっていた、そして本来テーマとしていた社会思想や哲学といったものには極力踏み込まず、エンターテインメントの側面を追求していった娯楽作品としての側面があったと思う。
その意味で、労働組合や労使交渉などのテーマを背後にチラチラ見せながらも、表面的には忍者と忍術の技術解説を柱として面白く見せていった『ワタリ』に立ち位置が近かったと思う。
カムイ外伝』も後半にいたると『カムイ伝』がもっていたテーマ性がチラチラ見え隠れはしてくるようになるが、その前半部は、忍者対決の面白さ、技術的側面が描かれている。
講談本なんかを読んで育ったという三平氏は、そういった分野はむしろ得意であったし、決して「金のために魂を売った娯楽作品*1」として作ったのではないはずだけど、それゆえに、本作の面白さの本質は、前半の忍術対決にあった、と個人的には考えている。
面白さ、なんてのは人それぞれ、千差万別だし、本作に魅了された人の多くは、マンガの方よりもむしろ、アニメの方で知った人の方が多かったと思うので、どの年代で体験したかによっても変わってくるだろうけど、1950年代生まれで、マンガから入った人間としては、まぁ、そんなところに面白さを感じていたのだ。もちろん、後半のテーマ性が見え隠れしだした頃がつまらない、というのでは決してない、というのも付け加えておくが。
そんなわけで、もし映画化するのなら、前半の忍術対決部分、マシラ一族、月影、ムササビ姉弟、五つ、てあたりをやってほしかったなぁ・・・と思ってる次第。
ただ公式サイトを見ると、追忍ミクモという少女が配されてるみたいなんで、これが、ムササビとかその辺あたりの役をやるのかしらん。
ともかく、映画は混むとイヤなので、初日、休日、土日は基本的にさける方針なんで、見にいくとしても、早くても2週後になるが・・・打ち切りになってないといいなぁ。(笑)
マンガ、アニメの実写化に対しては否定的な方ではあるんだけど、時代劇自体は好きなので、ちゃんとした撮影スタッフが、現代の技術で撮ってくれているのなら見に行きたいなぁ、くらいは思っているんだけど、はてさて。
カムイを最初に知ったのがいつだったか、ということに関して、映画とは関係ないけど思い出すことがあったので、少し追記。
知り合いのやってた漫研で、この『カムイ外伝』が大好きな女の子がいた。当時女子高生。
いろいろと今で言うパロディ漫画を描いてたのだが、まだコミケ誕生以前なんで、それほどどぎついものでもなく、けっこう少女趣味の入ったものだったのだが、その中に、カムイが姉との間の悲しい過去を妄想するものが入ってた。
カムイ伝』ではこのカムイの姉、かなり重要な役どころで、後半の事実上の主人公である正助の妻として、物語を動かしていく要因の一つにもなっているのだが、けっこう生理的に汚い描写もされているキャラクターである。
外伝の方ではこの姉は、存在が暗示されているだけで、ほとんどふみこまれていなかった。
美丈夫な孤独の抜け忍に、美貌の姉がいて、なにか悲しい過去があるらしい、というのは、けっこう妄想を刺激するところらしくて、そっち系の変な少女マンガテイストになってたのが面白かった思い出があるんだが、外伝で隠されていたエピソードとしては、これをよく思い出してしまうのだ。(^_^)

*1:いまどきこんなことを言う人はまずいないと思うが、昭和40年代にはチラホラ聞こえてきた雑音である。