火星の月の下で

日記がわり。

ついったー、回収

まだそんなにまとまってるわけでもないんだけど、多少調べて書いたので、一応回収しとく。
自分で書いたものを引用ボックスにいれるのもアレだけど。

デジレー・アルトーというと、チャイコフスキーとの関係で知られるメゾソプラノだけど『ケーベル博士随筆集』にもその名が出てきて、少し驚いた。
ゲーテのグレーチヘンの役を勤むべき女優はいまだ生まれなかった。ファウスト歌劇(グーノー)におけるきわめて優れたるグレーチヘンは既にあった。それは女流声楽家のデジレー・アルトーである。
>けれどもまた彼女がゲーテのグレーチヘンならざるは、あたかもグーノーの「ファウスト」が、ゲーテの『ファウスト』ならざるに等しい。
作曲家は、まだその楽譜でもって後生に、世代を超えたなにがしかの記憶を残してくれるけど、演奏家の場合、録音が可能になる以前においては、その名と、彼らへの賛美の文章でしか知ることができない。残念なことだ。
一般に、後の時代ほど技術水準は高まってくる、という思い込みというか、先入観があるので、仮に聞けたとしても、昔の人が賛嘆したようには感じられないのではないか、という意見もあるだろう。
しかし、録音が始まって100年の歳月が過ぎて、その間、決して録音初期の人が、今とは著しく劣っている、というわけでもないので、そういった意見には首肯しかねるところもある。我々は、ニキシュサラサーテの録音を、かなりの制約があったには違いないが、かろうじて知っている。
あるとすれば、流行の差、スタイルの差、そしてピアノ等に見られる楽器の進歩による差、くらいではないだろうか。
しかしともかく、不可能とは知りつつも、昔の名演奏家の演奏は聴いてみたいものだな、と思うことがしばしばある。ヨアヒムのヴァイオリン、リストのピアノ等々。

以上、過去の名演奏家に関して。
ここのブログではないけど、以前、過去の、とりわけ映像資料が残っていない19世紀以前の名俳優について書いたこととも少し重複する。
劇映画初期に「〜嬢」「〜夫人」とつけられていた女優についても少し書きたかったけど、まいっか。